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散らかった机の上
ライトファンタジー小説になるといいなのネタ帳&落書き帳
Admin / Write
2024/05/06 (Mon) 01:32
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2013/07/20 (Sat) 01:33

■野外茶会・ミトロの森

 秋晴れの良い天気。ただ少し風が湿っぽくて遠くの空に雲が見える。雨がふらないといいけど、とリームは思った。
「それじゃあ行こうか」
「はい、お願いします」
 今日はフローラ姫とのお茶会の日。ただし、初めてストゥルベル城の外で開かれる野外茶会だ。フローラ姫はラングリーが連れてくるらしく、こちらはティナと一緒に現地集合の予定だった。

 最初に着いたのは森の入口だった。ストゥルベル領内の小高い丘にある森で、隣にある村の名前と同名の『ミトロの森』と呼ばれているらしい。ところどころ木々の葉が黄色や茶色に染まっている。まだふかふかと落ち葉が積もるには早い時期だ。
「えーと……こっち、かな。ちょっと距離がありそう。もう一回移動しようかな」
「オジサンたちの居る場所が分かるんですか?」
「目印を置いてくれてるのよ。分かる? 東の方」
 リームは目を閉じて感覚を広げた。濃密な黄緑色の気配。黄色が大地のフィードの色で、緑色が水のフィードの色だ。植物が多い場所はそれが混ざって黄緑に見える。
「全然分かりません」
 リームは正直に答えた。歩いて移動するのをためらうほど遠くのことなど、微塵も分かる気がしない。でもティナも、きっと腹黒宮廷魔法士も分かるのだろう。レベルの差は果てしなく広い。
「まぁ最初は難しいかな。じゃあ、もう一回移動するよ」

 紫色の光が薄らいで、見えてきたのは森の中のひらけた場所だった。少し曇ってきた柔らかい日差しの下、一面に紫色のサリタの花が満開だ。
 その中央に不自然に置かれている白いテーブルセット、数人の侍女に囲まれてお人形のように座っているのは涙姫フローラだった。
 そして黒いローブの姿が二人……二人? リームは嫌な予感がした。
 フローラの隣、椅子に座っているのは宮廷魔法士ラングリーだ。とすると、その傍らに立つ小柄な黒ローブ姿は……。
「ミ、ミハレッ……っ!?!?」
 まずい。何故ミハレットがここにいるのだろう。こんな顔ぶれが集まったら、絶対にばれるじゃないか――というか、もう話してしまったのだろうか? フローラ姫と自分との関係について、どういう説明をしてあるんだろう?
 ラングリーが気がついて、それに続いてフローラ姫やミハレットもリームたちの方を向いた。ハンカチで目元をぬぐっていたフローラ姫が微笑みながら手をふる。ラングリーもミハレットも表情に特に変わったところは見られないが……。
「あ、ほんとだね。ミハレットくんも来てたんだ」
「来てたんだ、じゃないですよ、ティナっ!! やばいじゃないですか!!」
 じりじりとティナの服の裾を引っ張りながら後ろへ下がるリーム。ティナもリームの危惧するところは分かったようだが、肩をすくめるだけで動こうとはしなかった。
「まあ、いい機会かもしれないよ? ずっと隠してるのも面倒でしょ」
「ばれたほうが面倒ですよ! きっとまた師匠にふさわしくないとか言って訳の分からない試練をやらせるんですよ!」
 あれだけラングリーに心酔するミハレットだ。地味で平凡な自分が師匠の娘だなんて、絶対に認めるはずがない。こっちだって願い下げなのに。あぁむしろ娘なんかじゃないんだった。そうだった。でも、フローラ姫がそう言ったら信じてしまうのではないだろうか――いや、そうでもないか? フローラ姫と自分は似ても似つかないんだし。勘違いってことで丸く収まる可能性も……?
 リームがぐるぐると考えていると、なかなか近づいてこないことを不思議に思ったらしいラングリーら三人が、何やら言葉を交わし、そしてミハレットがリームとティナのほうに歩いてくるのが見えた。
 どうする!? 誤魔化せるか? それ以前に、話を聞いているのかいないのか? どういう態度をとってくるだろう? やっぱり――がっかりしただろうか……。
 ミハレットが声をかけられるほど近くに来る少し前――リームは、逃げ出した。
「ちょっと、リームっ!」
 ティナの少し呆れ気味な声を背に聞きながら、リームは森の中へと駆けていった。


 ――なんだか前もこんなことあったな。
 リームは大きな木の洞にしゃがんで膝をかかえながら思った。誰かが追いかけてくる気配はない。鳥の鳴き声、風が木々を揺らす音、聞き取れないほど小さな精霊語のささやきだけが聞こえる。
 あの春の日の夜を思い出す。王妃様の背に乗ってストゥルベル城へ行って、初めてフローラ姫に会って。何を言えばいいのか分からなくて、逃げ出してしまったのだ。
 成長してないな、自分。リームは一人ため息をついた。
 こうして一人でゆっくり考えてみると、やはりティナの言うとおり、正直に話してしまったほうが良い気がしてくる。自分が娘だと認めていないことも含めて。ストゥルベル家とも宮廷魔法士とも繋がりを持ちたくない気持ち、ミハレットは分かってくれるだろうか。それとも、名前の束縛からは逃げられないって諭されてしまうだろうか。自分に対する態度も変わってきてしまうのだろうか……。
 ふと、洞の外から茂みを揺らす音が聞こえた。誰かが探しに来たのか、それとも森の動物か。リームは気配をひそめて耳をすませた。
『人間だよ。子供だね』
『なんだ、人間か』
 聞こえてきたのは鈴の音のような精霊語。ふと見ると、洞の外から透明な羽の小さな妖精が二人のぞいていた。黄緑色の葉のような質感の服を着た小人のような形をしている。妖精族はその力の大きさによって虫程の大きさから人間程の大きさまで様々だ。王都で見たことがあるのは人間程の大きさの妖精が多かったので、リームは手のひらほどの大きさの妖精を見るのは初めてだった。
『人間でもいいかな』
『人間は面倒くさいらしいよ』
『うーん、そっかぁ……』
『あの、何かご用ですか?』
 リームが話しかけると、二人の妖精はびっくりして洞の入口から飛び退いた。しかしすぐに戻ってくる。
『喋った! ちょっと下手だけど!』
『ごめんなさい、習ったばかりなので』
『キミは精霊使いなの?』
『いいえ、魔法士……です』
 見習いという単語が分からずに、リームはそう言った。
『魔法士なんだ。へぇ~。魔法士がこんなところで何をしてるの?』
『えーと……』
 何をしてるんだろう自分。返事を考えるより先に、リームはため息をついてしまった。本当に何をしているんだろう。そんなリームを見て、妖精たちは顔を見合わせる。
『精霊語でどう言うか分からないんだね?』
『まぁいいか。僕らは僕らで用事があるしね。あ、もし暇ならさ、手伝ってくれない?』
『何をですか?』
『ちょっと友達が死にそうだから、助けてあげようかなって思ってて』
「えぇっ!? それって大変なんじゃ!?」
 思わず人間の言葉で言ってしまって、リームはすぐに言いなおす。
『それは大変ですね!?』
 しかし妖精はあんまり大変じゃないさそうだ。にこにこと笑いながら鈴のような声で話す。
『僕らは草花の妖精だから、本当は死にそうとかあんまり大したことじゃないんだ。寿命が長い木の妖精や泉の妖精とかだと、もう少し深刻に考えるみたいだけどね。まぁ今回は気が向いたから、ちょっとやってみようかなーってだけで』
『そうなんですか……』
『キミも気が向いたんなら、来てくれる?』
 確かにいつまでもここでじっとしているわけにはいかない。こうしてリームは妖精に誘われるままに洞から出たのだった。


■妖精の小さな花

 それは本当にひっそりと咲いていた。森の中の落ちくぼんだ盆状の一角、木々の影に隠れるように咲く、薄い桃色の花。
『もう妖精の姿を維持できないほどに弱っていてね。まぁ今日明日の命ってとこかな』
『種が残せてるんなら、僕らもこんなことはしないんだけど、残念ながら種を残せてないんだよ』
 そう言う妖精たちだが、口調はいたって気軽なものだ。世間話をするような雰囲気で、リームはどんな表情をしたものか迷ってしまう。
『それで、どうすればいいんですか?』
『一番いいのは、死体だね』
「え゛」
 リームは固まった。相変わらず気軽な調子で妖精は続ける。
『動物の死体があると、フィードの流れががらっと変わるんだ。僕らにとっては良いことづくめさ。でも僕らは狩りができるほど強くないし、死体を運べるほど大きくもないし』
『弱ってる動物を誘導するぐらいしかできないかなと思ってたんだけど、人間の魔法士さんが協力してくれるなら良かったね』
『えーとつまり……何か狩ってくる?』
『うん、それでもいいし、あとはフィードの流れを何とかしてくれるならそれでもいいし』
 何とかとはどういうことか。リームは目を閉じてフィードを観察した。土と水の黄緑色のフィード。確かに他よりも弱々しい気がする。リームは〈杯の雫〉を唱えた。水のフィードを集め、少量の水を手のひらの上に生み出す。
『こういうことなら、できますけれど』
『それはフィードを集めただけだよね? 流れは変わってないから意味がないよ』
『もっと広い範囲からいろんなフィードを集めて、ここに固定してくれるんだったら役に立つかも』
『ごめんなさい、おそらく無理です……』
 これ以上の量のフィードを扱うのは無理だったし、固定というのも全然分からない。魔法士と名乗ってしまったものの、まったくの役立たずだ。妖精たちに呆れた様子やがっかりした様子は見られなかったが、リームは自分で自分が情けなくなってしまった。
『まぁ別にできなくても困るわけじゃないしね。僕らも気が向いたからって感じだから』
 その時、がさがさと横の茂みが揺れ、何か黒い影がぬぅっと現れた。大きい。リームが見上げると、そこに立っていたのはつぶらな瞳の雑食獣ビアーだった。黒い毛皮に覆われた大きな体、太い腕には鋭い爪。雑食獣――つまり、肉食でもある。そして今は、秋である。
『あ、丁度良いね』
「よくないよ!? 私、こんなの狩れないよっ!?」
 あくまで気軽な感じの妖精に、人間語で叫ぶリーム。妖精はたぶん意味を理解できなかったはずだが、笑顔で言った。
『死ぬなら是非あの花のそばでよろしく!』
「私のほうが!?」
 妖精たちにとってはビア―も人間も「動物」ということ以外に大きな差はないようだった。
 ざっ、とビアーが一歩前に進み出た。視線は真っ直ぐリームを見ている。牙の覗く口元からは涎が垂れているようだ。どうしよう。リームはビアーを見たままじりじりと後ろに下がった。視線を外したら襲われる予感がした。どうしよう。こんな大きな獣に対抗できる魔法なんて使えるはずがない。今のリームにできるのは、小さな光や火を呼び出すことぐらいだ。火、火か……。
 リームはビア―を睨みつけたまま、感覚を広げた。ぼんやりと感じる黄緑のフィードの中から、わずかな赤いフィードがある場所を探す……たぶんそこは落ち葉や枯れ枝がある場所だ。リームは呪文を唱えた。かつてないほど集中して一音一音に命を吹き込む。
 ぼうっと、リームのななめ後ろの地面が燃えた。落ち葉がパチパチとはぜる。ビアーの視線が逸れたのを感じて、リームは炎のそばに走った。たき火ほどの大きさの炎の後ろにまわり、何か松明代わりになる枝のようなものはないかと探したが、あいにく見つからなかった。
 ビアーは火をおそれて近づかなかったが、そこから離れようともしない。火が消えるのを待っているのだろうか。確かにそう長いこと火は維持できないだろうし、火から離れて逃げようものなら、すぐに追いつかれてしまうだろう。ああ、結局どうにもならない。やっぱり役立たずだ。ここでビアーと森の木々の栄養になってしまうのだろうか。きっとフローラ姫が泣いてしまう。
 びゅうと風が吹いた。リームは火が消えないかとひやりとする。その耳にくすくすと笑い声が届いた。
『うふふ、だめよ、リームちゃん。こんなところをうろうろしてちゃ』
『偉大なる大樹の友が心配するでしょう』
 風の精霊がふわりとリームの髪をかき混ぜた。ラングリーの塔の近くで見かけた精霊と同じような気もするし違う気もする。顔かたちは異なるはずなのに印象が似ていて、リームにはあまり見分けがつかなかった。
『た、助けに来てくれたんですか?』
『そうかもしれないわね』
『違うかもしれないわね、くすくす』
『ティナかラングリーを呼んできてくれるだけで、すごく助かります』
『それには及ばないわ』
『それをする立場にないわ』
『でもあれをなんとかするくらいはできるかもね』
『お腹をすかせたビアーさん、これは餌ではないのよ』
 すいっと、半透明の風精霊は空中を泳ぐようにビアーに近づき、くるくるとその周囲を回った。ビアーはぐるると唸っていたが、しばらくしてリームとは逆方面に去っていった。リームはそれを見送って、深く深く息をついた。座りこんでしまいそうだったが、なんとかこらえた。
『ありがとうございます……』
『ふふふふ、あとは彼にお任せね』
『お呼びではない可哀相な彼ね、くすくす』
 風精霊はつんつん、とリームの頬をつついたあと、空に溶けるように消えてしまった。結局、助けに来てくれたということなんだろうか。風精霊の考えていることは本当に分からない。ふと見ると、先程の妖精がたき火を見ていた。
『これは使えるかもしれないね』
『死体ほどじゃないけどね。この灰もらっていいよね? 何か使う?』
『いいえ、使いませんよ。どうぞ』
『ありがとう!』
 あの花のそばで死んでね、と笑顔で言ったことを何一つ気にしていないらしい彼らは、根本的に人間とは違う考え方をする生き物だった。精霊も妖精も、言葉は習えてもその心までは習えない。
 ざくざくと草を踏む音が聞こえて、リームはびくっと振り返った。今度の足音は黒い獣ではない。ずっと小柄な黒いローブ姿だった。
「リーム、こんなとこにいたのか! 何してたんだ?」
「ミハレット」
 普通につぶやいたはずだったのに、自分の声が震えているのを聞いて、リームは口元を押さえた。目の前がにじむ。気恥かしさと悔しさにリームは奥歯を噛んで、ミハレットから顔をそむけた。
「お、おい、リーム?」
 駆け寄ってきたミハレットが、白いハンカチを差し出してきた。ローブや髪形だけでなく所持品まで同じとは、こいつはどこまで師匠になりたいのか。リームは可笑しくなってしまって泣きながら笑った。
「大丈夫だから、ごめん。ありがと」
「本当に大丈夫なのか? 何かあったのか?」
「ううん、大丈夫。ミハレット、私を探しに来てくれたの?」
「そうだ。フローラ様が心配なさってるぞ」
「フローラ様が……あのさ、私のこと、何か聞いた?」
 そっとミハレットの表情をうかがう。心配そうな表情の他は、特に何も変化は見られない。
「あぁ。フローラ様の養子候補だったそうだな。それで師匠の弟子になるキッカケになったんだろ? ラッキーだったなぁ。ついでに養子になれば良かったのに。まぁ魔法士を目指すんだったらストゥルベル家の跡継ぎは面倒だな。それは分かる」
「でしょ? 分かるよね? そうなの、面倒なんだよっ」
「でも、フローラ様の養子ってことは、ほぼ師匠の養子みたいなものじゃないか! いいなぁ、師匠の養子! オレもできることなら師匠を父上と呼びたい! ああ今度呼んでみてもいいだろうか!? 絶対蹴飛ばされるけど!」
 力説するミハレットの姿に、リームは分かってもらえたかもしれないという淡い気持ちを、きれいさっぱり吹き消されてしまった。涼しい秋風が吹き抜ける。
 でもどうやら、自分がフローラ姫の実の娘だという……いや、かもしれないという話は聞いていないようだ。
「もしかして、養子の話がもう一度あがってきてるから逃げたりしたのか? だめだぞ、逃げたりしないで嫌なら嫌とちゃんと言わなきゃ伝わらないからな」
「そんなこと分かってるよ」
 似たようなことを前も言われた気がする。そんなに自分は逃げてばかりだろうか? ……そうだな、逃げてばかりだ。リームはひとつ頷くと、ミハレットのほうに向きなおった。
「あのね。落ち着いて聞いてほしいんだけど、実は、私……」
「なんだ?」
「……私は……」
「…………」
「…………………か、帰り道、分からなくなっちゃったんだけど、どっちかなっ!?」
「あぁ、迷子だったのか。やっぱりな。そんなことだろうと思ったよ。ほら、こっちだぞ」
 駄目だぁぁぁっ! 言えないっ!
 リームはミハレットの後ろを歩きながら心の中で叫んだ。言えない。なんで言えないのか自分でも分からない。リームは悔しくなって、また目尻に涙をにじませた。今絶対振り返るなよ、とミハレットの背中をにらみながら。


■サリタの花咲く森で

「お待たせしてしまって本当にすみませんでした」
「いいのよ、リーム……でも驚いてしまったわ。何か理由があったの……?」
「おじさ……ラングリー師匠の顔が気に食わなかったので」
 ミハレットに怒涛のごとく文句を言われるのが分かっているので、呼び方を言いなおす。当の腹黒タヌキはにやりと笑い、確かにこの表情が嫌だったのは嘘じゃない、と、リームは思いながらラングリーをにらみつけた。
 サリタの花畑の中央には、白いテーブルセットに座る五人と、小さなワゴンのそばに控えている侍女数人。琥珀色のお茶は香り高く、テーブル中央に用意された焼き菓子はナッツがたっぷり使われていた。
「あらまあ、またケンカでもしたの……?」
「師匠と弟子なんてケンカがつきものさ」
「そうなんですか!? オレ、ケンカしたことないですよね? つきものなんですか? したほうがいいんですかっ?」
「まぁお前の場合はケンカにならんからなぁ」
「だめよ、ラングリー。また声を出なくする魔法なんてかけたら、可哀相でしょう……」
 涙をにじませて諌めるフローラ姫の言葉に、ティナがのんびりお茶を飲みながら言う。
「そんなことしてたんだ……ミハレットくん、がんばるねー」
「いえっ、オレとしては一生あのままでも良かったんですよ! 師匠の弟子にしてもらえるんだったら声がでないことくらいなんでもなかったです!」
「はっはっは、どうですこの面倒くささ、すごいでしょう。ティナ殿に一匹くれてやりたいくらいですよ」
「いやー、遠慮しておくかなー」
 紫色の花が揺れる森のお茶会に笑い声が響く。リームは少し目をふせて琥珀色のお茶を一口飲んだ。
 ふわっとフローラ姫が優雅に立ちあがった。するするとリームのそばに近づいて、突然横から抱きしめた。
「フ、フローラ様っ!?」
「元気ないわね、リーム……ぐすっ。大丈夫よ、ケンカなんてすぐ仲直りすればいいのよ」
「そーだぞぉ、リーム。仲直りしよう、仲直り」
 満面のにやにや笑いという表現もおかしなものだが、そうとしか表現できないラングリーに、リームはフローラ姫の腕の中から呪いの視線を送った。
「うーん、お似合いだと思うけれど、こればっかりはリームが決めることだしなー。確かにストゥルベル家はなぁ……」
 ミハレットのつぶやきにティナが尋ねる。
「エイゼル国王に王子が生まれた今でも厄介なの?」
「公爵家ですから。オレの家でさえかなり面倒なんですよ。オレは兄が何人もいますからだいぶマシですけれど。フローラ様にも他に跡継ぎがいらっしゃれば別なんでしょうけれどね」
 それを聞いて、ラングリーはお茶のカップを手に取りながら、何気なく言った。
「たぶんそろそろだと思うんだがな。フローラ、体調はどうだ?」
「まだ分からないわ。あと二週間くらいすればはっきりすると思うけれど……」
「えっ」
「え?」
「あぁ」
 三人の視線がフローラ姫に集中する。フローラ姫は秋咲きの薔薇のように微笑んで、腕の中で固まる娘にささやいた。
「またはっきりしたらお話するわね」
 雲間から柔らかい日差しが降り注ぎ、森の木々を通り抜けた風はどこか甘い匂いを運ぶ。実りの秋はこれから深まる季節だった。


― 雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ4   終 ―
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2013/07/20 (Sat) 01:33
■雑貨屋の『不思議』

「ティナ、お待たせしました! ちゃんと見つけましたよっ」
 得意げな顔をして執務室に入ってきたのはリームだった。右手には金属の輪でできた魔法具を持っている。
 中庭の端から端まで、少しずつ移動しながら周囲のフィードをじっくり観察して、やっと見つけ出したのだ。黄と緑と青のフィードがふわりと混ざりあいながら流れるバラの生垣の中、規則正しく輪を描く金朱色のフィード。生垣に手を突っ込んで取り出して、刻まれた魔法文字を読んでみたが、まだ仕組みは全然分からなかった。それでも無事見つけたのだから課題はクリアだ。
「おー、すごいじゃない。やったわね」
「えへへ、ティナが教えてくれたおかげですっ」
 リームの後に続いて、ミハレットが納得いかない表情で入ってきた。
「師匠、すみません! 今回は油断しました! がっ! 次こそは! オレが先に見つけてやりますっ!!!」
「そうかそうか、まぁがんばれよ」
 ラングリーはかなり適当に応じるが、ミハレットはそれでも嬉しいらしい。キラキラした瞳で真っ直ぐラングリーを見て、はいっと元気に返事をした。

           *          *           *

 雑貨屋に帰宅したのはすっかり暗くなった八の刻だった。空間移動の紫色の光が消えて、ティナが天井付近の魔法具を見上げると、ふっと魔法の明かりが店内を照らした。リームが明かりをつける時は〈小さき光〉の呪文を唱えるのだが、ティナは呪文を使わない。ティナのイヤリングにはどれだけの量の呪文が組み込まれているのだろうか。
「お腹すいたでしょ? 晩御飯用意するね」
「あっ、ティナ、私も手伝います!」
 二人でカウンター裏手の台所へむかう。リームが〈灯の火〉でかまどに火をつけ、ティナが食糧庫を覗いて芋と卵を出した。
「リーム、これ切っておいてくれる? 確かハーブもあったはず……」
「はい、分かりました」
 ティナが戸棚を探している間に、リームは水甕から水を汲んで芋を洗い、包丁で皮をむきはじめる。
 と、リームは眼をまるくして手を止めた。本来なら白いはずの芋の中身が鮮やかなオレンジ色をしていたのだ。
「あれ? なんかこのお芋変わってますね。中、オレンジ色ですよ。初めて見ました」
「あ、ほんとだ。失敗したなー。でも食べられるんじゃない?」
「うーん、どうでしょう……」
 リームは芋の匂いをくんくんと嗅いだりしてみたが、ふとティナの言葉に違和感を感じた。
 失敗したな、と言っていた。変な芋を買ってしまって失敗した、という意味だろうか。しかし食料品の買い物はほとんどリームの役目だ。リームが失敗したというようには聞こえなかったが……。そういえば、この芋はいつ買ったものだろう? ここしばらく、芋は買っていないはずだ。
「このお芋、ティナが買いました?」
「え? あぁ、うん。そうそう、私が買ったやつ。ごめんね、変なお芋買っちゃって」
 ティナが買ってきた、変なもの。そういうものがここには沢山あるはずだ。正確に言うなら、店頭に。
「……えーと、ティナ、このお芋もしかして、雑貨屋の商品と同じ方法で手に入れました?」
「あー、まぁ、そんな感じ」
 へへへと笑って誤魔化すティナ。先程の「失敗した」は、仕入れに失敗したということだろうか。リームは何か引っ掛かるものを感じていた。
 溶ける鉄鍋や踊るホウキと同じ手段で手に入れたもの。雑貨屋の不思議の原因である、奇妙な商品と同じ――。
 『青』が雑貨屋を調査に来た、あの日の晩を思い出す。
『それなりのものをいただかないと』
『雑貨屋の不思議を背負える何かですよ』
 ラングリーの言葉に、ティナは答えていた。
『分かった、考えておくわ』
 ――雑貨屋の不思議はラングリーが背負うことになっている。
 おそらく、あの『巻物』に記された魔法によって。
 リームはオレンジ色の芋から視線をあげて、ティナのほうを見た。
「もしかして、雑貨屋の商品って、ティナが魔法で作ってるんですか?」
 ぴた、っとティナの動きが止まった。戸棚から出したハーブを手にしたまま、そーっとリームを振り返る。リームの表情を確認して、何故かほっとしたような微笑を見せた。
「それって……ラングリーから聞いたの?」
「いいえ。でもそうなのかなーって」
「そうだねぇ、うん。まぁ、そうかな?」
「違うんですか?」
「ち、がわない、かな。うん。そう。雑貨屋の商品は私が作ってる」
 とうとう認めた。
 特別な仕入れ先、なんて言っていたが、自分の魔法で加工した商品だったのだ。魔法士だということは分かっていたのに、何故隠す必要があったのだろう。
「やっぱりそうなんですね。最初からそう言ってくれればいいじゃないですか」
「う……ご、ごめんね。リームが魔法士の弟子になるなんて思ってなかったからさ。ほら、普通の人にとって魔法士って、ちょっと得体がしれないじゃない?」
「そんなことないですよ。強くてかっこよくて皆の憧れですよ!」
 リームが脳裏に思い浮かべるのは孤児院に訪れた『青』の人の姿だ。小さい頃だったので記憶があいまいだが、ショートカットの女性だったように思う。ある子を狙ってやってきた数人の悪い魔法士を鮮やかな光の渦であっという間に倒してしまった正義の味方。
「そういう風に思ってくれる人はありがたいんだけどね……」
「ティナも『青』になればいいんですよ。すごい魔法技術があるんですから。もし『青』が嫌いなら宮廷魔法士とか、魔法を使う仕事は沢山あると思うんですけど……なんで雑貨屋なんですか?」
 たぶん魔法を使いたくないわけじゃないんだろう。いつも気軽に空間移動の魔法で送り迎えしてくれるし、なにより魔法で商品を作っているのだから。『魔法士』として扱われることが嫌なのだろうか? だったら、魔法で作ったりしないで普通に商品を仕入れて店をやれば、不思議な雑貨屋にはならなくて、『青』に目をつけられたりもしなかったのに。
「うーん、私もいろいろ考えたんだけどね。魔法士でいるとやっぱり『青』と関わらなきゃいけなくなるし、かと言って閉じこもってると飽きちゃうし。街で普通に暮らしながらってのが丁度良いかなって」
「普通に暮らしながら……何をしてるんですか?」
「えーと、魔法の、練習?」
「あ、そっか。なんだ、そうなんですね」
 リームはやっと少し納得できた。自分と同じで、ティナもまだ修行中なのだ。もちろんレベルの差は比べものにならないんだろうけれど。練習で作った商品だから、あんなヘンテコなものができあがってるわけだ。
「でも失敗作を売るのはどうかと思いますよ?」
「いや失敗作じゃないのよ、ほんとに成功したと思って店に並べてるの。でも後からボロがでてくるものが多くて……まだまだ未熟だね」
 ティナは皮をむきかけのオレンジ芋を手にとって眺めながら肩をすくめる。ごく一部の魔法士しか扱えない空間移動の魔法すら簡単にこなしてしまうティナが自分と同じ修行中だと思うと、リームはなんだか親近感がわいてきた。
「大丈夫ですよ、きっと失敗せずできるようになります! 私もがんばって勉強しますから、ティナも一緒にがんばりましょう!」
「ふふふ、ありがと。うん、がんばるよ」
 ティナはにっこりと笑ってそう言った。オレンジ芋をリームに返して、鍋の準備をする。
「あ、店のものを魔法で作ってるって、他の人に言わないでね? ラングリーは知ってるけど、他は誰にも……フローラさんやミハレットくんにも言わないように、くれぐれもお願いね」
「はい、分かりました」
 きっとまた『青』の目にとまるのが嫌なのだろうと、この時はまだ、リームはそう思っていた。


■『不思議』な猫の置物

 閑古鳥が鳴くことは分かっていても開店時間はやってくる。リームは今日も魔法語教本と共に店番だ。
 ふと顔をあげると、通りに面した窓から小鳥が入ってきた。地味な茶色のどこにでもいる小鳥だが、リームにはよく見憶えがあった。
「あれ? 腹黒オジサンの鳥だ」
 次回のことかな? と思いながら、リームが手を伸ばすと、いつものように小鳥はその手にとまった。
『よう、リーム。勉強は進んでいるか?』
「もちろんです。次もミハレットには負けませんよ」
『ふふふ、ミハレットのやつもかなり必死でやってるからな、油断はできないぞ。ところで、ティナ・ライヴァートはいるか?』
「いえ、今居ないんです。ティナに用事ですか?」
『あぁ。いや、急ぎじゃないんだ。では、これを渡しておいてくれ。よろしくな』
 そう言うと、茶色い小鳥は光を発しながら封書に姿を変えた。宛名はティナ・ライヴァート殿となっている。
 それから数刻経って(もちろん客は一人も来なかった)、ティナが階段をおりてきた。
「リーム、そろそろ昼ご飯にしよっか」
「あ、ティナ。少し前にオジサンから手紙が届きましたよ」
「手紙? 私に? なんだろ」
 ティナが封を開けて手紙を読む。しかし中を読んでもどこか不思議そうな表情のままだった。
「んー、よく分かんないな。でもとりあえず行ってあげようかな。リーム、私、ご飯食べたらラングリーんとこ行ってくるね。店番お願いできる?」
「はい、もちろんです。私のお仕事ですから。何をしに行くんですか?」
「それが分からないんだよね。詳しいことは全然書いてないの。ま、話だけでも聞いてあげようかなと思って。いろいろお世話になってるしね」
 こうして昼ご飯を食べた後、ティナは出かけ、再びリームは店番を続けた。
 ティナが呼ばれたのは、以前の地下魔法陣での魔法のことかな? とリームは思う。見上げるほど巨大な光る石を思い出す。フィードを見ておけば良かったと今になって思うけれど、あの時はまだその発想がなかった。あの時ティナが現れたのは、あれがあの『巻物』に関連した魔法だったからだろうか。
 結局あれは何だったんですか?と聞いたことはあるが、リームにはまだ難しい魔法だから、もうちょっと魔法のこと分かるようになってから教えてあげるね、と言われてしまった。確かに今聞いても全然分からない気がする。もっともっと勉強して、早く一人前の魔法士にならないと、『青』なんてさらにその先の先なのだから。


 ティナが帰ってきたのは七の刻だった。雑貨屋はすでに閉店してあり、リームは夕食の準備を終えて魔法語教本を読んでいた。
「ただいまー」
「おかえりなさい、ティナ。おじさん、何の用事だったんですか?」
 リームが尋ねる。ティナはとっても楽しそうな笑顔だ。
「うん、新しい魔法陣の試験を手伝ってきたって感じかな。いやぁ、やっぱりラングリーってすごいね。私も魔法に詳しい知り合い多いけど、技術力では全然負けてない」
 気に食わない腹黒宮廷魔法士を手放しに褒められて、リームはあまり素直に喜べなかった。本来ならば、魔法を教えてもらうにしても『青』に推薦してもらうにしても、有能な魔法士であることはありがたいはずなのだが、根本的に気に食わないという感覚はどうしても拭えない。
「へぇ……それって例えば、王妃様みたいな竜族とかと比べてもですか?」
 なんとなく冷たい言い方になってしまった。しかしティナは気づいていないようだ。少し興奮ぎみの弾む笑顔で応える。
「そうね。竜族って物理的な力も魔法的な力もすっごいけど、だからこそ小手先の技術でなんとかしようって発想がないみたいなんだよね。それは精霊族や妖精族もそう。あのへんは呪文なんか使わなくても自分の属性に応じたフィードが扱えるから、魔法を使うこと自体滅多にないし。光族は音楽にしか興味ないし、闇族は武術にしか興味ないし」
「……って、ティナ、どんだけ知り合いがいるんですかっ?」
「いやまぁ、いろいろあってね。あっ、夕食できてるんだ。ありがと」
 ティナがカウンターの椅子についたので、リームもそれに並んだ。宮廷魔法士と高度な魔法技術について語り合え、様々な種族の知り合いがいて、見た目通りの年齢じゃなさそうな雑貨屋店主。でもリームにとっては恩人で仲間で家族だ。
「心配しなくても、私はティナが人間じゃなくったって気にしませんよ」
「んふふ、ありがと。でも私は人間だよ、一応ね」
「一応……?」
 疑問符を浮かべるリームを見て、ティナはニヤっと笑った。
「私も、リームが宮廷魔法士の娘でも公爵家のお姫様の娘でも気にしないよ」
「娘 じ ゃ な い ですっっ!!」
 不思議な雑貨屋ラヴェル・ヴィアータに、今日も楽しげな笑い声が響く。ティナとリームにとっては不思議でも奇妙でもない普通の日常だった。


           *          *           *

 秋晴れの昼下がり。通りに面した雑貨屋の窓から、リームより一、二歳小さな少年が数人こそこそと店内を覗いている。初めてのことではない。とんでもないものが売られているという怪しい雑貨屋ラヴェル・ヴィアータは、レンラームに住む少年達にとって、ちょっとした肝試しスポットでもあった。
 「早く行けよ」「分かってるって」などとやり取りが聞こえた後、一人の少年がそぅっと入口から入ってきた。
「いらっしゃいませ?」
 カウンターの椅子に座って魔法語教本を読んでいたリームが声をかける。緊張で無表情になっている少年は、口の端を持ちあげてなんとか愛想笑いをしようとしているようだった。そろそろと足元が崩れないか確かめるかのような足取りで店内を進む少年。テーブルや棚に並ぶ商品を得体のしれないものを見るような目で見ている――まぁ中には確かに得体のしれないものも混ざっている訳だが。
 リームのいるカウンターの前までくると、少年は入口のほうを振り返った。入口とその隣の窓からは、他の少年達が目線で急かしている。少年はごくっとつばを飲み込んで、リームに話しかけた。
「あ、あの……銅貨三枚で買えるもの……なんでもいいんで……」
「銅貨三枚? あったかなぁ……ちょっと待ってね」
 遊び半分でもお客様はお客様。リームは魔法語教本を閉じると、カウンター横から店内に出た。銅貨三枚というと屋台の揚げドーナツひとつくらいの値段だ。装飾品はもちろん、鍋や食器などの生活用品にも足りない。値札を見ながらリームが店内を一周する間、少年はカウンター前に立ったまま視線でリームを追っていた。
「あ、あった。これなんかどう?」
 リームが見つけたのは親指ほどの小さな置物だった。黄褐色の粘土を焼いたような質感で、かなりデフォルメされた猫の形だ。座っているものや寝転んでるものなど色々ある。あまり上手い出来ではないが銅貨三枚だとこれくらいだろう。
「うん、なんでもいい……」
「色々あるから選ぶといいよ」
 少年はおそるおそるリームに近づいて、棚に並んでいる小さな猫の置物を眺めた。ほどなく、座っている一匹に手を伸ばす。
「ニャー」
「わぁっ!?」
「えっ!?」
 驚いた少年は猫の置物から手を離し、こぼれ落ちた置物は店の床へと落下する。
 あぁ、割れる!
 しかし、置物はカッ!と音を立てて石の床にぶつかっただけで、割れずにそのまま転がった。
 少年とリームの視線に晒されて、転がった猫の置物はただ沈黙するのみ。
「……い、今、な、鳴いた……」
「うん……」
 リームは棚に残る別の猫の置物にそっと触れた。何も起こらない。意を決して、転がったほうの置物に手を伸ばす。
「ニャーン」
「ああああやっぱり呪いの猫人形っ!?」
「うわあああっ!!」「呪われた! テッドが呪われた!」「逃げろぉぉ!!」
 店の入口で様子を見ていた少年達が一斉に逃げ出す。
「ま、待ってよぉぉっ!!」
 店の中にいた少年も、命からがら逃げ出すように店を駈け出していった。
 静けさだけが残された店内に一人立つリーム。自分の手にある猫の置物をもう一度見た。ひっくり返して全面を確認する。魔法文字は見あたらない。動く様子はない。置物の頭を指先でなでた。
「ゥニャアー」
 鳴いた。
 いや、鳴き声がするだけで、置物の口元が動いたりする様子はない。溶ける鉄鍋、踊るホウキと同様の、不思議な雑貨屋の『不思議』が発現してしまったようだ。
 少年にはちょっと可哀相なことをしてまったな。リームはそう思いながら、鳴く猫の置物を持ってカウンターに戻った。
 ティナが魔法で作っているという雑貨屋の商品――そしてたまにある失敗作。魔法で品物を作るというのはどうやっているのだろう。例えば、この猫の置物だと、粘土から猫の形を作るのは自分の手でやったほうが早いように思う。焼きあげる工程を魔法でやってるのだろうか? あとは粘土の質や色を魔法で調整しているとか……?
 リームは目を閉じて精神を集中し、感覚を広げた。周囲のフィードを感じとる。猫の置物のフィードはごく淡い黄色で、普通の土や陶器と比べて何も変わりはない。リームは目を閉じて集中を維持したまま、そっと猫の置物に触れた。ニャアと鳴き声が聞こえる。フィードに変化はない。何か魔法が発動したようにはまったく見えなかった。ただ、自分が未熟だから感じ取れないだけかもしれないけれど……。
 そんなふうにリームが猫の置物を観察していると、二階から扉の開閉する音と足音が聞こえた。ティナが帰ってきたのだ。ティナの部屋は結界が張られているらしく、フィードの流れが遮断されていて空間移動の魔法の際に発生する紫色のフィードが見えない。
「おかえりなさい、ティナ」
 ティナが階段を下りてくるのを見ながら、リームは言った。
「うん、ただいま」
 応じるティナを見て、リームはあれと思った。なんだか元気がない。表情はいつも通りほほ笑んでいるが、なんとなくいつもと雰囲気が違う。
「ん? その猫の置物、気にいった? あんまり可愛くないかなと思ってたんだけど」
 リームの手元を見ながら言うティナ。いつも通りと言えばいつも通り。少し声に元気がないだけだ。ちょっと体調でも悪いのかな?とリームは思った。あるいは出かけた先で何かあったのだろうか。いつもティナが出かける時に何をしに行くのかとはいちいち聞かないが、たまに聞いた時には友人に会いに行くという返答が多かった気がする。
「いえ、この猫の置物がですね」
 リームはちょいちょいと指先で猫の置物をつつく。
「ニャーン」
「うわあ、鳴いちゃうんだ。これはよくないね」
「どうやって作ったら鳴くようになるんですか?」
「それが分ってたら失敗しないよ」
 ティナはため息をついて猫の置物を持ちあげた。ニャーと手の中で鳴く置物をじっと見る。
「……そーですか。難しいですね」
 ぽつりとつぶやいたそれは明らかにリームに向けられた言葉ではなく、リームは首をかしげた。
「ティナ?」
「あ、ううん。なんでもないの。見つけてくれてありがとね。片づけとくわ」
「はい……ティナ、なんだか元気ないですね? 何かあったんですか?」
「えっ、そ、そう? そんなことないけど」
「じゃあ心配事でもあるとか」
「いや、そんな……」
 ティナは視線をナナメ下にさまよわせて、しかし頭の霧を振り払うように軽く首をふると、にっこりと強気の笑みをリームに向けた。
「大丈夫、心配しないで。いろいろと気にしないのが私の良い所なんだった。うん。世の中なるようになるもんよね。ならないんだったらするしっ。さって、晩御飯の準備でもしよっか」
 よく分からないが、ティナの中で何か整理がついたのだろう、元気になってくれたことにリームは嬉しく思った。ティナが『気にしない』ことを選んだ事柄を、もしラングリーが知ったなら、またしても長い長いため息をつくだろうことをリームは知る由もなかった。



■風精霊と魔法士の弟子

「よぉーーっし!! リーム!! 今回はオレの勝ちだっ!!」
 握りこぶしをあげて叫ぶミハレットの手には小さな紙片があった。よく見ると何やら魔法陣が描かれている。今日の課題の魔法具だ。
 しまった、先を越された、と、リームは唇を噛んだ。
「どこにあったの?」
「上だよ」
「上って……浮いてたの!?」
「そう! 塔よりも高いところだったけど、〈そよぐ風〉で触れただけで落ちてきたぞ。そういう風に作ってあったんだな。さすが師匠!」
「それってずるくない? どこまでが中庭の範囲なのよ」
 リームは夕焼けから紺色に変わりつつある空に目と意識を向ける。と、青色に感じられる風のフィードの流れが固まっている部分があった。目には見えないけれど、何かいる。
「ねぇ、ミハレット、あれ……」
「ん? あぁ、風精霊だろ。時々師匠の様子を見に来るんだ。たぶん『青』の使いじゃないか?」
 見られていることに気がついたのか、目に見えない2つの気配が二人の元に降りてきた。フィードの固まりとしか感じられなかったものが、目にも見える形をとる。半透明の女性の姿。ひらひらした服と長い髪、少し幼くみえる表情は楽しげだ。
『ミハレットくんでしょ? で、リームちゃん。くすくすくす』
『魔法のお勉強ね? がんばってね。うふふふ』
 習いたての精霊語をなんとか理解する。名前を知られていることにリームは驚いた。もし『青』の使いならきちんとしなければ。リームはしゃきっと表情をあらためた。
『青の人の使いなのですか?』
『さぁ? どうかしら?』
『どうかしらね? 分からないわね? くすくすくす』
 がんばって精霊語を使ってみたが、風精霊たちはまともに答えるつもりはないようだ。でもちゃんと伝わったらしいので、リームはちょっと嬉しかった。
「別に『青』の使いだからってオレらのことはわざわざ報告したりしないと思うぞ。聞いても何も答えないけどな。ただでさえ風精霊ってやつは捉えどころがないやつが多いし」
『私たちが人間語を理解しないとでも思ってる?』
『うまいこと言ったとでも思ってる? 風だけに』
『とらえられない。うふふふふ』
 くるくるとミハレットの周囲を飛び回る二人の風精霊。ミハレットは少しうざったそうだ。
「こんなことしてる場合じゃない、早く師匠に報告して褒めてもらわなくては! 師匠、師匠ーーっ!!」
 ミハレットはローブの裾をひるがえして全速力で駆け出していき、リームも塔へ戻ることにした。今日も遅くなってしまったので、ティナが待ってるはずだ。ミハレットに負けたのは悔しいが、事実なので仕方がない。次は絶対に負けないんだから、と心に誓った。
 そんな二人を見ながらくすくすと笑う風精霊たちはすうっと黄昏の夜空に溶けていった。

           *          *           *

 窓の外では風精霊たちが弟子たちにちょっかいを出している様子が見える。課題は見つけられたようだ。もうすぐ執務室に戻って来るだろう。
「あのさ、実は……」
「軽率だと怒られました? ご友人に?」
「えっ、誰から聞いたの!?」
「いいえ、そんなところだろうなぁと。何かやらかす前に処分しろとか言われませんでした?」
「そっ、そんなこと……言いかねない人もいるけど、たぶんその場合、私には言わずに……」
「そーですか。肝に銘じておきます。まぁ、命狙われるのは慣れてますから。ストゥルベル公に散々狙われましたからね」
「いや、大丈夫よ! たぶん……ちゃんと、私が責任とるって、今度言っておくから」
「俺が失敗した時にその責任をとってくださるんですか? そりゃあ、ありがたいことで。世界の命運を背負うのは大変ですね?」
「うん。ほんとなんか、大変。思ってたより大変」
 しみじみとそう言われて、ラングリーは少し口をつぐむ。
 階段をのぼってくる足音が聞こえた。
 尻尾があればちぎれんばかりに振っているだろう褒めてくださいオーラをまとう一番弟子と、眉をしかめて次こそは負けまいと決意のオーラをまとう二番弟子の姿をありありと思い浮かべることができて、ラングリーは口の端に笑みを乗せた。

2013/07/20 (Sat) 01:32

■初秋のお茶会

「ああああああ、なんて素敵なの……っ!!! とっても似合うわ、リームっっっ!!!」
 予想通り号泣する人形のように可愛らしい姫君に、リームはもう慣れたものだった。侍女たちがハンカチを渡したり飲物を差し出したりして落ち着かせるのを見ながら、別の侍女がすすめるままにテーブルにつき、お茶を飲みながら見守る。
 すっかり風も涼しくなり中庭にはバラも咲き始めてきた初秋の晴れの日。夏の暑い時期はストゥルベル城の屋内でひらかれていたお茶会だったが、今回のお茶会は庭でひらかれていた。
 前回のお茶会で、ミハレットにローブを貰った話をぽろっとしたところ、是非着てきてほしいと泣いて頼まれたのだった。普通に話している間も半分くらいは泣いているフローラ姫なので今更という感じもするが、やはり涙ながらに頼まれると真っ向から断るのは気が引けてしまい、結局着てくるはめになってしまった。
「ご、ごめんなさいね……あんまり素敵だったものだから……うううっ、リーム立派になって……っ」
「いえ、まだ魔法のひとつも教えてもらってないですから」
「あぁ、そういえばミハレットくんに弟子として認められるまで教えてもらえないのだったわね……魔法士になるのって大変なのね……ミハレットくんもラングリーの弟子になる時はなんだか大変そうだったわ」
 それについてはミハレット自身からも聞いたことがあった。なんでも何度か死にかけたとか……本人の話なので誇大しているんだろうと思っていたが、城の使用人たちからも似たような話を聞くので、本当に死にかけたらしい。むしろラングリーが半殺しにしたらしい。それでも全力でラングリーに心酔するミハレットの思考回路は本当に理解できなかった。
「でも、ミハレットくんはとっても良い子よね。ブルダイヌ家とは昔からお付き合いがあるから、小さい頃から知っているのよ。舞踏会でも妹さんたちの面倒をよくみてたわ」
 ブルダイヌ家はクロムベルク王国の建国当時から存在する由緒正しい大貴族で、公爵家であるストゥルベル家と並ぶほどの規模なんだそうだ。そこまでは以前聞いていたが、ミハレットの兄妹のことは初めてきいた。
「ミハレットって妹がいるんですか?」
「えぇ。十人兄弟だったはずよ。ミハレットくんは六番目の子だったかしら……えぇと、お兄さんが三人、お姉さんが二人、あと弟さんが一人に妹さんが三人ね」
「よく知っていますね」
「社交界で会う相手のことを知っておくのがお仕事のようなものなの。でも十人も兄弟がいたらきっとにぎやかでしょうねぇ」
 孤児院で育ったリームはそのにぎやかさを想像することができたが、やはり貴族となると子供の頃から貴族らしくふるまうように教育されているのだろうか。おっとりゆったりした立ち振る舞いのフローラ姫を見ているとそうなんじゃないかなと思えてくる。でも、ミハレットはそうでもないか……。
 そんなことを考えていると、フローラ姫がなんだかそわそわしているようだった。侍女から渡されたハンカチのふちを意味なく整えたりしている。
「フローラ姫、どうかしましたか?」
「あ、あのね、リーム……急にこんなこと言うのもなんだけど……その、リームは弟や妹ができたら、どう思うかしら……?」
「……………はぁっ!? いるんですかっ!?」
 ガタッと椅子を蹴って立ち上がってしまい、フローラ姫はびくっと身を引いて、今にも泣きそうに目をうるうるとさせる。リームは慌てて両手をふった。
「ごめんなさい、そういうつもりじゃないんです。泣かないでください」
「い、いいのよ……そうよね、リームを孤児院に預けて親としての責任を放棄したのに、もうひとりだなんて酷い話よね……うううっ」
「あの。それで、いるんですか、いないんですか」
 ピノ・ドミア神殿にそれらしい子はいただろうか。リームは自分の記憶をたどる。あるいは、今お腹の中に……? さめざめと泣き始めるフローラ姫の腹部をなんとなく見ながらリームは思った。見た目に変化はないが、もしかしているんだろうか。弟か妹。間違いなく父親はアレ。また神殿の孤児院に預けるんだろうか。でも、自分の時は未婚の子だったからという理由だったはずだ。今はもうすでに偽装ながらも結婚をしているわけだから、ここで育てられるんだろうか……。
 しかし、フローラ姫はハンカチで涙を拭きながら、ふるふると首をふった。
「いいえ、まだいないわ」
「…………なんだ、そうですか。……まだ?」
 なんだか冷ややかな声音になってしまったことに、リームは自分で驚いた。そんなつもりじゃない。自分はフローラ姫が子供を産もうが関係ないはずだ。むしろストゥルベル家の跡継ぎができてくれたほうが何かと面倒くさくないはずだ。そうに決まってる。
「うううっ……ごめんなさい。確認して良かったわ……やっぱりやめておくわね……リームと仲良くできてるから、つい欲が出てしまったの……」
「いえ、違うんです。別に私は……」
 少し口ごもって、ぐるぐるする頭の中で自分の言いたいことを整理しながら、リームは泣き続けるフローラ姫を正面から見据えて言った。
「あの、フローラ姫。もう一度言っておきますけれど、私はストゥルベル家の養子になるつもりはありません。ここには娘として来ているわけではありません。しいて言えば茶飲み友達くらいです。……ですから、フローラ姫がお子様が欲しいと思われるのでしたら、お好きになさってください。私には関係ありませんので」
 だめだ、まだ言葉にトゲが残っている。リームは自分でも分かっていた。でも、これ以上どう言えばいいのか。思考と気持ちの歯車がかみ合わなくて、リームは下を向いて唇を噛んだ。
 ふわり、と花の香りがした。そっと頭に何かがふれる。――フローラ姫がそばに来て、頭をなでていた。
「泣かないで、リーム……ありがとう」
 泣いているのはフローラ姫のほうじゃないか。そう思いながら、リームは両手で自分の目元をこすった。フローラ姫はいつも泣いてばかりで侍女に囲まれていてふわふわとして頼りないお姫様なのに、なんでこういう時だけ母親みたいな顔をするんだろう。息づかいを感じる距離で、リームはやっと聞こえるくらいの小さな声でつぶやいた。
「……私、わりと下の子の面倒みるの得意でした。フローラ姫は小さい子の面倒みるの初めてですよね? お子様ができたら、あやしにきてあげます」
「……ありがとう。ごめんなさい、リーム……」
 背中にまわされたフローラ姫の両腕は細くて繊細で、目の前の首筋の白さなんて本当に人形のようだった。でも、人形と違って温かい。甘い花の香りは何故か安心する。記憶に残らないほど幼い頃、私はこの腕に抱かれたことがあるんだろうか。リームはフローラ姫の腕の中でそっと目を閉じた。

               *             *            *

 不思議な雑貨屋ラヴェル・ヴィア―タの閉店時間は六の刻。その時間が来る前から、カウンターにはすでに夕食の準備が整っていた。今日の夕食は、スリ魚のフライと青菜とウインナーのスープ、パンは固めのライ麦パンだ。ティナが閉店の看板を出すと、リームはひとりで食前のお祈りを済ませ、二人並んで夕食を食べ始める。
「そもそも、子供を作る予定があるんだったら、私を養子にむかえようとする必要なかったじゃないですか」
「やー、それは逆じゃない? リームが養子になってたら、もうひとり子供をなんて必要なかったのかも」
「あ、そっか……っていうか、偽装結婚してたらOKなんだったら、なんでもっと早くしておかなかったのかとっ」
「うーん、それも多分逆……リームができたから慌てて偽装結婚したんでしょ」
「責任感がっ、なさすぎるっ! 貴族ってこれだから! 毎年何人の子がピノ・ドミア神殿の孤児院に来てると思ってるんですか!」
 ストゥルベル城のお茶会から帰ったあと、ティナにフローラ姫がもうひとり子供を欲しがっているという話をしたら、今までどこにあったのか不満が次々に湧いてでてきた。なんでフローラ姫の前では全然出てこなかったのか不思議でならない。本当ならフローラ姫にこそきちんと言ってやるべきことなのに。
「……ごめんなさい。ティナに言っても仕方ないですよね」
 リームが言うと、ティナはにこにこしながら応えた。
「いーのいーの。でも、兄弟かぁ~。私は一人っ子だから、ちょっと羨ましいな。リームはどっちかというと、弟のほうがいい? それとも妹のほうがいい?」
「弟でも妹でもないですから。私は養子にはならないんですからね。でもできれば、フローラ姫に似てほしいです」
 父親になるだろうあいつには絶対似てほしくない。腹黒宮廷魔法士にそっくりの子供なんて、めちゃくちゃ気に触るガキだろうとありありと想像できる。
「ふーん。でもリームはどちらかというとラングリーに似てるよね。いろいろ物怖じしないとことか」
「似・て・な・い・で・すっっっ!!!」
 全力で否定するリームを、ティナは楽しそうに笑って見ていた。



■弟子の証

「リーム、待ってたぞ!」
「はいはい。で、今日は何をするの?」
 もうお約束となってしまったやり取りをしながら、リームはかかえた魔法語教本を塔一階応接室のテーブルの上に置いた。
 大げさにため息をついたり不平不満を示したりしても効果はないのだ。もういろいろと諦めたリームの態度は淡々としたものだった。一方、相変わらずミハレットのテンションは高い。
「ふっふっふ、今日はなっ、リームにプレゼントがあるんだ!」
「何? ローブの次は杖でもくれるの?」
「おしいけど違う! 杖も考えたがちょっと難しかった! ……やっぱり杖が良かったかな?」
「いやそもそもプレゼントとかいらないから。私はさっさとこの試練とやらを終わらせて、魔法の勉強をしたいだけで……」
「うん、そうだな。では、リームっ」
 ミハレットは姿勢を正す。
「オレは千年に一度の天才で偉大なる宮廷魔法士ラングリー師匠の一番弟子として! リームに弟子の証たるアミュレットを授けよう!」
 ミハレットが取り出したのは濃紫色の布がはられた小箱だった。リームに見せるように蓋をあけると、中には青い宝石のついた銀色のブローチが入っている。どことなくラングリーの杖を意識したモチーフだ。そういえば、ミハレットも同じものをローブの肩口につけていた。
「アミュレットといっても、まだ何も魔法は入っていない。これから勉強して自分で魔法具を作るのにぴったりだろ」
 リームはちょっと呆気にとられて得意満面なミハレットと銀色のブローチを見比べた。またこんな高そうなもの、と思ったが、ローブを受け取ってしまっている以上、そのあたりを言っても仕方がない。貴族は根本的に価値観が違うのだ。それはフローラ姫と話しててもよく分かる。それよりも、ローブと違う点は……。
「弟子の証ってことは、やっと弟子として認めてくれたの?」
 真に受けてほっとしたら、またすぐに面倒くさいことを言い出すかもしれない。リームが警戒したままに聞くと、ミハレットは少し残念そうな顔をした。
「……もうちょっと喜ぶと思ったんだけどな。んん、一応、リームが魔法士を目指す気持ちはよく分かった。師匠に対する愛はまだまだ足りないが、リームなりに師匠を大事に思っているのはこの前の件でも分かったし」
「大事になんて思ってなーいっ!?」
「そういうのを『つんでれ』というらしい。師匠に聞いた」
 あの腹黒中年タヌキ魔法士が一体何を言ったのか、想像するだけでもはらわた煮えくりかえる気分だったが、とにもかくにも、どうやら本当にこれで魔法の勉強が進められるようだ。わけのわからない試練からやっと解放される。リームはアミュレットが入った小箱を受け取った。
「ローブの代金と一緒にきっと返すから。とりあえず借りておくんだからね。ありがとう」
「あぁ、そうだな。リームは髪飾りにしても似合うんじゃないかな? そうやっても使えるように留め具を作ってもらったんだ。つけてやろうか? 鏡もあるぞ」
 時々ミハレットが妙に女性に気配りができるのは何故だろうと思っていたのだが、姉が二人に妹が三人いると聞いて納得した。リームは自分でつけるからと断って、鏡を見ながら右の耳の上あたりに留めた。アクセサリーなどつけたことがないので、ちょっと浮いてみえるんじゃないかと自分では思う。
「うん、とっても良く似合うぞ! 黒髪って素敵だな!」
「あ、ありがと……」
 この真正面から褒める感じも女兄弟がいるからなのだろうか。それとも貴族の教育の中には女性を褒めろという項目もあるのだろうか。なんとなく落ち着かないが、悪い気はしなかった。


「はっはっは、悪いが何も考えてなかった。今日は適当に自習しておいてくれ。また次回までに何か考えておく」
 笑顔でそう言い放たれて、リームは期待しながら執務室まであがってきてしまった自分を心底後悔した。
 ミハレットの試練が終わって、やっと弟子として魔法の勉強ができると思った矢先、当の師匠の発言がこれだった。本当にこいつが『青』に認められた国有数の宮廷魔法士じゃなかったら、すぐにでも弟子を辞めてやるのにと心から思う。
「リーム、そんな怖い顔するなよ。自習は基本だぞ。オレなんかこの一年、九割九分は自習で学んできたんだ」
 それは放置されているだけではないのか。押しかけ弟子ミハレットは憧れの師匠の弟子でさえあればそれで満足なようだった。でも、リームはそれでは困るのだ。
「大丈夫なんですか? 本当にシェイグエール魔法院に入れるくらいの魔法を教えてもらえるんですか?」
「心配するな。今ちょっと色々と忙しくてな。そういえば、フローラから聞いたが――」
「帰りますっ! 来週はちゃんと教えてくださいね!」
 ラングリーが妙な話を出す前に、リームは急いで執務室を出た。ミハレットもあとについてくる。
「まぁ、そんなに怒るなって。師匠はお忙しいんだ。なにせ天才的頭脳と最高の魔法力を併せ持ち国王陛下や王妃殿下からも信頼の厚い宮廷魔法士だからなっ!」
 どうやらミハレットはフローラ姫とリームの関係は知らないらしい。特にラングリーに口止めはしていないのだが(したとしても無駄だろう)ラングリーとしても話す理由がないということなのだろうか。もしばれたら、またしても面倒なことになりそうで嫌すぎる。私はただ『青』になるために魔法の勉強をしたいだけなのに。
 結局、ティナが迎えに来るまでの数刻は、ミハレットに案内された城の図書室で本を読んで終わったのだった。


■魔法の源『フィード』

 目を閉じて、耳を塞ぐ。そのまま少しうつむいて、自分の体全体を意識する。そして、全身の感覚をじわじわと広げていく。
 やがて広げた感覚が何かに触れるのが分かる。触れるというよりは、皮膚で空気の温度を感じるのに近いだろうか。黄色、緑色、青色……目には見えないのに何故か色のイメージも感じとれる。ぼんやりと霧のように形が定まらず、流れ動いているもの――世界に満ちる息吹、魔法の源『フィード』。
 それは神々の世界にある聖なる大樹『フィーグ・ラルト』から生み出された力で、聖なる大樹の子である『王の樹』グラン・リィトを通じてこの世界に供給されているという。生物でいうと血潮ともいうべき、世界にとって必要不可欠な力。そう本で読んだが、大きすぎる話であまり実感はできない。
 魔法はこのフィードを操る技術なんだそうだ。
 やっとのことで始まったラングリーの魔法指導。期待を抑えつつ執務室に向かったリームに、ラングリーは言った。
「まずはフィードを正確に感じ取ることからだ。見えるもの聞こえるものに惑わされないこと。中庭に魔法具を隠しておいたから、フィードを目印に見つけてこい。お前たちでも分かるように作っておいたからな」
「ハイッ、分かりました!! よーし、リーム、先に見つけたほうが勝ちだからな!」
「えっ、ちょっとまっ……!?」
 一緒にいたミハレットはすぐさま執務室を飛び出していってしまい、残されたリームは開けっ放しの扉のほうを見たまま二秒ほど迷ったが、くるりと振り返ってラングリーにたずねた。
「もうちょっと具体的に教えてください。フィードの見方は本で読みましたけど、目印にってどういうことですか」
「それは見てみれば分かるさ」
「ほんとですか?」
「ウソ言うわけないだろう。自然に流れるフィードと魔法で固定されたフィードは全然違う。もちろん自然なフィードの流れに似せて作ることもできるが、今回はやってないからな。ほらほら、早く行かないとミハレットに先を越されるぞ」
「ま、負けません!!」
 そう言うと、リームも執務室から駈け出していった。

           *          *           *

 突然、右後方に違和感を感じた。圧迫感と歪み、フィードの流れが渦を巻くように変化する。感じる感覚を色として表現するなら、虹色から紫色へ。その鮮やかな紫色は実際に見覚えがあった。
 リームが振り向くと、バラの生け垣のずっと向こうに消えつつある紫色の光が見えた。そして見慣れたシルエットの人影。ティナが迎えに来たのだ。
「ティナ!」
 呼びかけて手を振ると、ティナも気がついてこちらに歩いてくる。二人は噴水のそばで落ち合った。
「今日は一人なんだね。ちゃんと魔法は教えてもらえた?」
「それが、課題みたいなのが出されたんですけど、うまくできなくて……」
 リームが魔法具探しについて説明すると、ティナはふーんと言いつつ視線を左右にすべらせた。
「あぁ、なるほどね。初めての課題にしては、ちょっと難しいんじゃないかなぁ」
「えっ、見つけたんですか!? どこらへんにありますっ?」
「いやあ、私が教えちゃったら意味がないじゃない」
「せめてヒント! ヒントください!」
「えー、それじゃあねぇ……フィードっていろんな色があるじゃない? 属性によってさ。地面を流れるフィードは黄色っぽいし、空を流れるフィードは青っぽい」
「はい」
「で、混ざってるといろんな色に見えるから、属性の偏りが無いところは虹色っぽくなってると思うんだけど……こう、混ざり具合がね、不自然でおかしいなーってとこがあるのよ」
「混ざり具合……ですか?」
 リームは目を閉じて、感覚を広げてみる。ここは噴水のすぐ近くなので、水属性を示す緑色のフィードが強い。緑色と青色と、黄緑色とわずかなオレンジ色。ぼんやりとした光のようでもあり、香りのようでもあるそれは、絡まりあいながら緩やかに流れている。目を開くと、明るい庭園の光景に覆い隠されて、淡くつかみどころのない流れは把握できなくなる。
「……何が普通で、何がおかしいのか、ぜんぜん分かりません」
「うーん、そうだよねぇ。えーと、なんていうか……あ、ほら、コレとかどう?」
 ティナが自分の右耳のピアスを示す。雑貨屋のカウンターに置いてある呼び鈴と対になる魔法具だ。
「はい……ちょっとよく見せてもらっていいですか?」
 リームは再び目を閉じて、ティナのピアスのそばに右手を伸ばした。温度を感じるように手をかざすと、ぼんやりとしたフィードがよく『みえる』。
 周囲のフィードの流れとは少し違う、比較的はっきりとした色味。ふわふわと漂うのではなく、ひとつの点をまわるように緩やかに動く流れ。次第に、細く束ねられた色糸が模様を描くような流れがみえた。これが、制御されたフィードの流れ――魔法。
 リームはぱっと目を開くと、満面の笑みで言った。
「見えました! 魔法って、綺麗なんですね」
「なんとなく分かったかな。全部がこういう感じってわけじゃないけど、まずはひとつでも実際に感じてみないと分からないよね」
「そうですね。いきなりこの広い庭園の中から探せって言われても無理ですよ。すごく集中して見ないと色味とか流れの違いが分からないですもん」
 その時、ミハレットが石畳の遊歩道から蔓のからまるアーチをくぐって噴水のそばにやってきた。
「あぁ、ティナ殿、ごきげんよう。リーム、今日はもう帰るのか?」
「えっと……」
 ティナの顔をうかがうリーム。ティナはニコニコと手をふる。
「いいよ、見つかるまでがんばって。別に早く帰らなきゃいけない用事があるわけでもないし。ミハレットくんは見つけたの?」
「いえ、まだです。さすがは世界最高峰の魔法士、千年に一度の天才である師匠が出された課題っ、なかなか手ごたえがありますっ。ティナ殿は師匠の塔でお待ちになりますか?」
「そうだね、フィード感知の邪魔しちゃ悪いし、そうしよっかな」
 ミハレットのティナに対する態度が随分丁寧になっているのは、ラングリーから何か聞いているからだろうか。それとも単にラングリーのティナに対する態度を真似ているだけなのだろうか。あとで探りを入れてみようと、リームは思った。


■執務室にて

 執務室の扉がノックされ、ラングリーは魔法具を手にした弟子たちが入ってくるものだと思ったが、しかしそこにいたのは長い金髪をひとつにまとめた少女姿の例のアレであった。
「これはティナ殿。お迎えの時間ですね。リームは庭園にいたはずですが」
「うん、さっき会ったよ。まだ課題が見つからないんだって。初っ端からあれは難しすぎるんじゃないの?」
 ティナはリームが普段使っている椅子に腰かけながら言う。ラングリーは読んでいた書物を閉じて立ちあがった。
「この俺の弟子ですからね、あれくらいできなきゃ話にならないですよ。お茶でも淹れましょう。日が暮れるまでやってるでしょうから」
 棚からティーポットとカップを取り出すと、小声で呪文を唱えながら横に置いてある茶葉の缶の蓋をあける。ティーポットの蓋をとり茶葉を入れる頃には、ポット中には湯気の立つお湯が満ちていた。
「へぇ、それいいね。ポットに水と火の魔法が刻みこんであるんだ。お店に置いてみようかな」
「このタイプの魔法具は魔法士じゃないと使えないですよ。貴女の雑貨屋の目的とずれている気がしますが?」
 ティーポットとカップ、そして角砂糖が入った小鉢をトレイに乗せ、ティナが座る長机に運ぶ。ティナは目の前に置かれたティーポットをまじまじと観察した。
「別にそんなことないわよ。この世のありとあらゆるものを並べられるようになるのが目標なんだから、魔法具だってあってもいいし」
「まだその段階じゃないように聞いてますけれどね。鉄鍋は溶けませんし、ホウキは踊らないですよ」
 茶化すような笑顔で言うラングリーに、ティナは眉根を寄せた。
「う……だって、難しいのよっ。ラングリーだってやってみたんだから分かるでしょ?」
 その言葉に、今度はラングリーのほうが眉をしかめる。
「だから、俺を同列に並べないでくださいよ。一介の魔法士にすぎないんですからね。前にも言いましたが、貴女はもうちょっと自覚を持った方がいいと思います」
「あははは、それすっごいよく言われるー」
 屈託なく笑うティナに、ラングリーは肩をすくめて自分の机のほうに戻った。椅子にはかけずに、窓の外、中庭を見下ろす。四の刻を少し過ぎ、日は傾きかけているもののまだ明るい。
「リームにはいつ話すのですか?」
「え?」
 ティーポットの蓋をあけてお茶の出具合を確かめていたティナがラングリーへ視線をあげた。
「魔法を学び始めたら、遅かれ早かれ気づくということは分かってたはずですよね? 誤魔化し続けるのは無理ですよ」
「うん……だけど、ねぇ、ほら。みんながみんなラングリーみたいな感じじゃないしね? いくら父娘だといってもね?」
「そうですね。分かりますよ。……ティナ・ライヴァート殿」
 ラングリーは窓の横の壁に背をあずけ、腕を組んでまっすぐティナを見据えた。
「俺じゃダメですか?」
 ティナは一瞬ぽかんとした表情をする。
「……え? ごめん、悪いけど全然興味ないし、フローラさんが泣き死ぬと思うんだけど」
「何言ってるんですか、俺がフローラ以外に興味を持つわけがないでしょう。リームの代わりですよ」
 ラングリーはやれやれと頭をかきながら自分の肘掛け椅子に腰をおろした。
「思うに、貴女には『普通の人間』の視点が必要なんですよね? だからわざわざ人間の街に店を開いているのでしょう? 俺だったら貴女の正体をすでに知っていますし、その上で普通の人間としての意見もできると思いますよ」
「あ、あぁ、そういう……あはは、そうよね。えーっとね……」
 ティナは笑って誤魔化しながら、ティーポットからお茶を注いだ。琥珀色の香茶がカップを満たす。
「なんか、うまく言えないんだけど……私が必要としてるのはたぶん、普通の人間の視点っていうか……そう簡単に代われるようなモノじゃないんだと思う。うん。ラングリーはラングリーですごく助かってるんだけどね? 『青』からの目隠しにもなってもらってるし、こうして話してても色々とためになるし」
「そうですか。まぁ貴女の決めることに対して口を出せる立場でもありませんでしたね。失礼しました」
「ううん。参考になる意見をありがと」
 ティナは香茶を一口飲んで、ふと気づいたように言った。
「ねぇ、もしかして、リームだけじゃなくて、私のことも心配してくれた?」
「どちらかというと『世界』を心配したというほうが近いかもしれませんよ」
「あー、そっちか。うん。ごめん。みんなに心配かけてるのは分かってる。でもそんなヒドイことにはならないと思うからさ。大丈夫だよ、たぶん」
 にこっと笑う表情の裏表のなさに、ラングリーは再び深くため息をついた。こいつは心の底からそう思ってるんだろうな。まったく悪意がないだけに純粋に恐ろしかった。
「そうですね。そうあるように祈っておきます」
「ん……また会えるの楽しみにしてるって」
「…………」
「あ、ごめん」
「……いえ、大丈夫です。そうですね、近いうちに」
 ラングリーは目を閉じて、脳裏に焼きついた姿に祈りをささげた。
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ライトファンタジーな小説を書くにあたって、ネタから先が全く進まないので、散らかったメモをまとめておこうと思ったわけです。
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