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散らかった机の上
ライトファンタジー小説になるといいなのネタ帳&落書き帳
Admin / Write
2024/05/05 (Sun) 18:01
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2012/12/03 (Mon) 19:48
(5)名前の束縛

 結局、ティナに先日のラングリーとのやりとりの意味を聞いても、リームにはいまひとつ理解できない答えが返ってくるばかりだった。
 ティナの話をまとめると、『青』の対応を頼んだお礼と今後『青』がラングリーを調査したときの対策のために、『雑貨屋の不思議を背負える何か』を渡したらしい。
 おそらく魔法だとリームは思うのだが、つまりこの雑貨屋が奇妙な原因はティナが何か魔法を使っているせいなのだろうか。それと同じ魔法を書いた巻物をラングリーに渡したということなのだろうか。
 しかし、ラングリーの様子が只事ではなかった。いつも状況を面白がっているようなにやにや笑い(とリームには見える)を浮かべているのに、あんなに真剣なまなざしは初めて見た。これを渡す意味を分かっているのかとティナに聞いていた。ティナが思っている以上の意味が、あの巻物――あるいは魔法にはあるのだろうか。ティナは問題あるとは思わないと言っていたが……。
「リーム~! そろそろ時間じゃなーい?」
 階段下からティナの呼び声が聞こえてきて、雑貨屋2階の自室にいたリームは、はーいと大きく返事をした。
 前回ラングリーの塔へ行ってから1週間が経っていた。今回はミハレットがいないといいなぁと思いつつ、リームは魔法語教本をまとめて1階に下りた。
「お待たせしました」
「準備はできた? じゃあ、送るわよ。迎えはいつも通り4刻くらいでいいかな?」
「はい。いつもありがとうございます」
「いいのよ。魔法は減るもんじゃないしね」
 あらわれた紫色の光がリームを包み込む。呪文の詠唱無しで魔法を使えるのは、魔法具に事前に呪文を織り込んでおくからだ。ティナが身につけている魔法具は呼び鈴と連動しているイヤリングくらいだから、たぶんとてつもなく複雑な魔法があのイヤリングに込められているのだろう。
 リームの目の前が紫色の光でいっぱいになった次の瞬間には、すでに薄れつつある光の向こうには、ラングリーの塔が見えていた。

*                 *                  *

「待ってたぞ、リーム! 今日もこのオレが弟子とはなんたるかを教えてやろうっ!!」
 塔の入口をはいってすぐ、リームを出迎えたのは相変わらずやる気満々のミハレットだった。
 やっぱり、いた……。リームはうんざりしたため息をついた。もしかしたら初めてここに来たときのようにミハレットが居ない日もあるのかもしれないと、淡い期待も抱いていたが無駄だったようだ。
 なんとかミハレットと遭わないように日程を調節して魔法を教えてもらえないかとラングリーにも伝えたのだが、結局今逃げても問題は先延ばしになるばかりだろうと言われて、それは確かにその通りだったから納得せざるをえなかった。
 逃げるのではなく、ちゃんと真正面から受けて立つしかないのだ。
 魔法語教本はとりあえず1階の応接室に置いて、ミハレットに連れられるままリームは城内へ向かった。
「宮廷魔法士の弟子たるもの、それなりの知性と気品を兼ね備えてなければならない。まずは形からだ。リームの恰好は魔法士としてふさわしくない」
 意気揚々と語るミハレット。リームは庶民は魔法士にふさわしくないと言われたように感じた。これだから貴族は。皮肉をこめて言った。
「魔法の力の前では、貴族も庶民もないんじゃなかったの?」
「貴族も庶民も関係なく、魔法士らしい格好すれば皆魔法士に見えるだろう? なにより、かっこいいじゃないか!」
 師匠であるラングリーと全く同じ黒のローブを着て髪型まで似せてしまうミハレットは、全力の笑顔で断言した。かっこいいから。ふーん子供っぽいな、と、リームは思う。自分のことを棚にあげているとは気がつかない。
 城内を使用人の通用口を中心に歩いてしばらく、着いたのは衣服の繕い等をする針子の仕事場だった。十数人の女性が豪華絢爛なドレスから使用人の服まで様々な衣服に向かってそれぞれ仕事をしている。ミハレットが針子の一人と会話をすると、その針子は様々な衣服が並ぶ奥から一着の黒いローブを持ってきた。シンプルだが生地も仕立ても良い、庶民ではそうそう手に入れられないくらいのものだというのは見ただけで分かった。
「とりあえずそれっぽいのを用意してもらった。正式なローブはまた改めて仕立ててもらうといい」
「さあさあ、試着してみましょう。裾や袖なんかは、ちょちょいと直せますからね♪」
 針子が笑顔でカーテンで仕切られた試着場所を指し示す。
「ちょ、ちょっと待って。そんな高そうなローブの代金なんて払えないよっ。言ったでしょ、私はあんたとは違って普通の平民なんだからね!」
 慌てるリームに、ミハレットはさらさらと応える。
「あぁ、問題ない。これの支払いは済ませてある。気になるなら魔法士として稼ぐようになってから返してくれればいい。オレも家の名前で借りている金はそうやって返すつもりだし、雑貨屋で働いた程度では手に入れるまで時間がかかりすぎるだろ。かりにも師匠の弟子を名乗る以上、いつまでもそんな恰好では……」
「なによ、ばかにしてるの? そんな施しなんていらない!」
 ミハレットの言葉を遮り、リームはミハレットをにらみつける。孤児院にいたときも貴族が戯れに菓子などを配ることがよくあった。そもそもリームがいたピノ・ドミア神殿の孤児院は貴族からの寄付でなりたっているようなものなのだが、それでも一部貴族の上から目線の施しを嫌う孤児はリームを含め少なくなかった。
 そんなリームにミハレットは言い返すかと思いきや、軽く目をひらいたあと、少し視線を落とし静かに言った。
「気に障ったならすまない。一般市民を貶めるつもりは一切ないんだが、信じてもらえないかもしれないな……今までもそういうことはあったし」
 うってかわっての意気消沈した態度に、リームは動揺した。ミハレットは間違いなく庶民を軽んじていたし自分が不快に思うのも当然だし……でも、悪いことを言ってしまったんじゃないかという罪悪感がもやもやしてるのは何故だろう。ミハレットに同情の視線を向ける針子の存在も居心地の悪さを高める要因だ。
「え、と、あの……」
「いいんだ、オレはもう城(ここ)で学んでる。ブルダイヌ家のミハレットという名前はオレの一部で、切り離せないんだ。いくら自分で家の名を捨てたと言っても無理なんだ」
 城のどこへ行っても坊ちゃん坊ちゃんと使用人たちから呼ばれるミハレット。それは慕われていることを表わすと同時に、貴族の息子としか見てもらえないことも表わした。リームの脳裏にフローラ姫からの手紙の宛名がよぎる。可愛らしい丸文字でリーム・キーティア・ストゥルベル殿と書かれたそれを、自分の本名だと思ったことは無かった、はずだったが――。
「でも師匠が言ってくれた。家名の束縛から逃げ出すことを目的にするのは無駄なことだ、って。逆に、自分を磨くことを目的にすれば、いつのまにか自分の名が家名を越えることになる。あのブルダイヌ家の六男が魔法士をやってる、じゃなくて、あの魔法士ミハレットがブルダイヌ家の六男だ、って言われるようになる。すごいだろ? さすが師匠っ、魔法だけでなくすべてにおいて知恵深く造詣にとみ他の追随を許さないっ!!」
 何故いつも話がその方向にずれるのか。リームにはミハレットの思考回路が分からなかった。しかしミハレットの言葉は心をざわざわと波だたせた。『家名の束縛から逃げ出すことを目的にするのは無駄なことだ』――まるで自分に言われているようで。そんなことはない、私は孤児であり天涯孤独であり、どんな家とも関係がないんだ。そう言い聞かせている自分と、その姿を見ているもう一人の自分と。自分の一部は気づいている。彼女が目をそらして逃げているだけだということに。
 ――私もその名を受け入れられたなら、真っ直ぐに魔法士を目指すことだけに向かうことができるのかな――。
「つまりだな、オレのことが気に入らないのは仕方がないことだ。それとこれとは別のこと。師匠の弟子として恥ずかしくない立派な魔法士見習いになるためには、通らなければならない道なんだ!」
「そっ、そもそもあんたに道とか決められる筋合いないし……」
 ごにょごにょと反論するものの、先程の勢いはすっかり削がれてしまったリーム。
「いいから、まずは着てみろって。ほんとテンションあがるぞ。間違いない」
 結局、押し切られて、ローブを試着することになってしまった。
 つややかな黒色のローブは襟元の形が少しラングリーのものに似ている。ミハレットのもののようにそっくり同じというわけではないが。鏡にうつる自分は、いつもの灰色のワンピース姿よりも随分大人びて見えた。なんだか魔法が使えそうな感じだ。リームは口の端があがってしまうのを抑えきれずに、にやにやしている自分の姿を眺めることになった。どうせなら青色のローブにしてくれれば良かったのにと思ってしまったりして。
「ほら、似合うじゃないか! 言ったとおりだろう」
 試着室から出てきたリームに、ミハレットが声をかける。針子もよくお似合いですよと満面の笑顔だ。
「師匠と同じ黒髪だから、黒いローブが良く似合って羨ましいな」
「べっ、別に同じなんかじゃ……!」
 反射的に反論してしまって、きょとんとしたミハレットの様子から、黒髪がそんなに珍しくないことを思い出して口をつぐむ。
「と、とりあえず……ありがとう。あとでぜったい稼いで返すから」
「あぁ、そうだな。立派な魔法士になったら返してくれるといい」
 ――迎えに来たティナにどうしたのそのローブと驚かれて、顛末を話したら、ずいぶん仲良くなったねと笑われてしまった。
 別に仲良くなった訳じゃない。でも、だいぶ慣れてきたかな、と思うだけで。あとはさっさと魔法の勉強の続きを始められればいいんだけど。
 黒いローブはリームの自室の壁の目立つところにかけて、魔法の練習をするときだけ身につけることにした。

(6)〈女神のささやき〉

「あのさ、いつになったら弟子として認めてくれるの? いいかげん魔法の勉強をしたいんだけど」
 今回も塔の下で待っていたミハレットに、黒ローブを着たリームは魔法教本を応接テーブルに置きながら言う。セリフは初めて会った時から変わってないが、随分とげとげしさが無くなっていた。それを分かっているのかいないのか、ミハレットは屈託のない笑顔だ。
「そうだな、あとリームに足りないのは、師匠の素晴らしさを知らないことだ。師匠がどれだけ素晴らしい魔法士なのか分かれば、きっと青じゃなくて宮廷魔法士になりたいと思うんじゃないかな」
「それはぜったいないから」
 リームはきっぱりと即答したが、ミハレットはまるで聞こえなかったかのように塔を出て、城へとむかう。リームもしぶしぶながら後に続いた。
「今日はな、師匠が久しぶりに地下魔方陣で儀式魔法をやるらしいんだ。すごいんだぞ。塔の魔法陣の10倍くらいの大きさがあるんだ。うまく使えば、王都全体を魔法の効果内におさめることができるんだそうだ。これは見ておかなきゃ損だろ?」
 身振り手振りを交えて力説しながら歩くミハレットに適当に返事をしつつ、確かにそんなにすごい魔法だったら見てみたいとリームは思った。気にくわない腹黒宮廷魔法士だけど、その魔法の技術だけは確かなのだ。『青』も一目置く国有数の宮廷魔法士。今まで小さな魔法は見てきたが、大がかりな魔法は見たことがない。
 いつもの使用人の通路とは違う廊下を進んでいき、だんだん人気の少ない地下へと入って行く。壁や天井の装飾にまじって魔法語が刻まれているのが見てとれる。途中数カ所に衛兵が立っていたが、ミハレットの姿を見ると軽く敬礼するだけで特に何も問いただされなかった
 廊下の先に大きな扉が見えた。天井まで続く臙脂色の大きな扉は魔方陣が描かれ、取っ手もドアノブも見あたらない。ミハレットは何やら羊皮紙の切れ端を取り出すと、片手を扉にかざして読み上げた。魔法語だ。――しかし、扉はなんの反応も示さない。
「……あれ? おかしいな……。いつもはこれで開くんだが」
「発音が違うんじゃないの?」
「いや、今まで何度も開けてるんだし、合ってるはず……」
 ミハレットの持つ羊皮紙をリームは横からのぞき込む。
 その時。
 感じるはずのない猛烈な風圧を扉から感じた。いや、実際には空気は動いていない。風の圧力に似た何かの力。リームとミハレットはその力に押されて、廊下に倒れた。
「わっ!?」
「きゃっ!」
 二人の声をかき消すように、低い轟音が扉の向こうから聞こえた。地響きに城全体がきしむ。しかし、それは一瞬で終わった。すぐに扉の向こうはしんと静まりかえり、遠く廊下の上のほう、城の上層階のほうではばたばたと足音や人の騒ぎ声が聞こえてくる。
「なんだ……? 何かあったのか?」
「こ、こういうことって、よくあるの?」
「いや、初めてだ」
 ミハレットは再び羊皮紙の魔法語を読みあげる。扉の魔方陣がほのかな光を宿し、ゆっくりと扉が開いていく。
「開いた!」
 巨大な扉の向こうは、とても大きな半球状の広間だった。教会がひとつ建ってしまいそうなほど天井も高い。窓がなく、暗いはずだが、今はその広間を占める物体のおかげでぼんやりと明るかった。
 大きな魔方陣があると思われる広間の中央。見上げるほどの巨大なそれは、淡い乳白色の結晶のようだった。ちょっとした家くらいの大きさはある。水晶の原石のように柱状の結晶が放射状に並んでいる固まりで、ある一部はほのかに赤く、またある一部は青や緑に、弱い光を包んでいてとても幻想的だ。
「これは……?」
「オレも初めて見る。師匠は……師匠?」
 周囲を見回しながら、ゆっくりと進むミハレット。リームもおそるおそるそれに続く。広間に人の気配はなく、二人の足音だけが響く。巨大な結晶はただゆっくりと光を明滅させている。
 結晶を一周しても、ラングリーの姿は見あたらない。すると、結晶の中なのか? ミハレットとリームはどちらからともなく顔を見合わせて、意を決してそっと結晶に触れようとした。
「お待ちなさい」
 凛とした声が広間の入口のほうから響き、二人が振り返る。黄昏時の東空のような紫色のドレスを身にまとい、つややかにうねる黒髪を腰までおろした女性が、複数の衛兵と魔法士を従えて立っていた。優雅さと気品と恐ろしいまでの強さを秘める、クロムベルク王国を守護する黒竜の化身――。
「王妃様!?」
「ファラミアル殿下!」
 立ち尽くすリームとは違い、ミハレットは即座に膝をついて臣下の礼をとった。
「立ちなさい、ミハレット・エフォーク。久しぶりですね、リーム・キーティア」
 王妃は微笑みを浮かべてゆっくりと二人に近づいてきた。結晶を見上げて言う。
「これについて、何か聞いていますか?」
「いいえ……」
「師匠が……宮廷魔法士ラングリーが儀式魔法を行うらしいとだけ。何をするかは教えてもらっていません」
「そうですか」
 王妃は目を閉じ、そっと結晶に触れた。しばらくして目を開く。アメジストのようなその瞳は、人とは違う、瞳孔の細い竜の瞳。
「……いけない。このままでは……」
 そう言うと、王妃の周囲を黒い電光が弾けはじめた。王妃の姿を包むように広がる闇夜の黒。リームはそれに見覚えがあった。黒の固まりは大きく広がり、巨大な黒竜の姿をとるはずだ。月明かりにきらめく竜の鱗、はばたく大きな翼を今でもよく憶えている。
『シルート、二人を外へ。サルザンとバチルスも部屋を出なさい』
 耳を介さず聞こえる『声』で、王妃は魔法士と衛兵に命じる。白髪交じりの魔法士はリームとミハレットを広間の外へとうながした。
 いったい何が起こっているのだろう。王妃様が出てくるなんて夢にも思わなかった。あの地響きは城全体に響いたに違いない。一体ラングリーは何をしてしまったというのか。王妃様は何をしようとしているのか。
 ミハレットとリームが広間の外に出ると、扉がゆっくりと閉まろうとしていた。淡く光る巨大な結晶と、その横には大きな闇の固まり。竜の姿をもう一度見てみたい気持ちもあって、リームは閉まりゆく扉の隙間からじっと広間の中を凝視していた。
「大丈夫ですよ、ファラさん。あとは私がやりますね」
 その声は広間の奥、結晶のすぐそばから聞こえた。王妃のものではない、でもリームには聞き覚えがありすぎる声。その声に応じて、闇色の固まりは急速に小さくなっていく。
「ティナ!?」
 その姿を確認することなく、臙脂色の扉はリームの目の前でぴったりと閉まった。


*                 *                  *

「ご迷惑おかけしてすみません。詳しい話はあとでしますから」
「よろしくお願いしますね、ティナちゃん」
 人の姿に戻った王妃が見守る横で、不思議な雑貨屋の店主は無造作に結晶に触れた。
 触れた部分を中心に、さらさらと結晶が虹色に光る粉へと変化する。見上げるほど巨大な結晶全体が粉と化すのにそう時間はかからなかった。
 広間の中央、結晶の中心部分には、うずくまる黒色の魔法士。細い金色の杖をしっかりにぎったまま、ぴくりとも動かない。
「ちょっと、ラングリー? 無事なのは分かってんのよ。自分で欲しいって言ったんだから、責任持って身につけなさいよね」
 さくさくと虹色の粉を踏みながら、金髪の少女は魔法士に近づく。魔法士はゆっくりと顔をあげた。
「…………!」
 少女は歩みを止めた。魔法士は少女から視線をそらす。
「ティナちゃん。ラングリーはそれは優秀な魔法士です、けれどね――」
 普通の人間だということを、忘れてはいけませんよ。
「――うん。ごめん。私が悪かったわ」
「あとは任せてくださいな」
「ほんとすみません。ここは後で片付けに来ますので、一旦帰りますね」
 少女はもう一度魔法士を見ると、薄紫色の光につつまれて消えた。
 王妃は魔法士に近づく。魔法士はふらつきながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「何を見ましたか」
「『彼女』を」
「あなたが未熟なのではありません。未熟だとすればあの子が。そしてそれは罪ではなく、自然で当たり前なこと」
「……えぇ。えぇ、よく分かりました……よーく分かりましたよ、まったく酷い話だ!」
 魔法士は顔をあげ、金の杖を床に打ちつけた。ざくっと虹色の粉に杖がささる。王妃はふっと笑みをこぼした。
「大丈夫そうですね。さすがはラングリーです」
「さすがではないですよ! 王妃様、アレは俺の気が狂って暴走していたらどうするつもりだったんですかね? どうもしないんでしょうね、多少落ち込むくらいでしょうか! 俺も分かっていたつもりでしたけれど……あぁ」
 魔法士が片手で顔を覆う。その手は小刻みに震えていた。
「自分が情けない。弟子達に会わせる顔がないですね……」
「私は貴方を誇りに思います」
 王妃の言葉に、魔法士は胸に手を当てて深く一礼した。


(7)不思議な雑貨屋の不思議な店主

 日はすっかり落ちて、クロムベルク城の中庭は細い三日月の明かりに照らされるばかりだ。
 塔の執務室から中庭を見下ろしたあと、リームは自分の机に戻って魔法教本に目を落とした。
 ティナは迎えに来ないし、ラングリーも戻ってこない。地下の広間でいったい何があったのか。自分はどうすればいいのだろう。
 執務室の扉がノックされ、はっとしたリームが立ち上がると、ミハレットが布のかかったカゴを持って入ってきた。
「夕食をもらってきたぞ。師匠は今日は帰らないかもしれないなぁ。まぁ帰らない日はちょくちょくあるが、今日はおかしなことがあったから少し心配だな」
 机にカゴをおいて布をとると、焼きたての丸パンとあぶり肉、蒸してつぶしたイモ、香味オイルであえた生野菜が入っていた。
「迎えにきてないってことは、やっぱり地下魔方陣の間にいたのはリームのとこの雑貨屋の店主みたいだな」
「うん……確かにティナの声だったと思う」
「あの店主は一体何者なんだ? 王妃様と知り合いのような口ぶりだったし」
 パンをかじりながらミハレットが言う。リームも空腹に負けてもそもそと食べ始めた。パンは驚くほどふわっふわで、あぶり肉は焼きたてジューシーだが、いまひとつ美味しさを楽しめる余裕がない。
「何者も何も……ティナはティナだよ。確かに王妃様と知り合いだけど、それは王妃様と国王様が出会ったときにお手伝いしたからで」
「それって随分昔の話じゃないか。もしかして店主は竜族なのか? 王妃様と同じ?」
「さぁ……でも竜族だろうと人間だろうと同じじゃない? 王妃様だって人間の国王様とご結婚して王子様もいらっしゃるんだから」
「まぁ、そりゃあ、そういう意味では……」
「ティナは、ティナだよ」
 リームはもう一度ゆっくり言って、窓から外を眺めた。

「いやあ、すっかり遅くなったなぁ。おう、お前たち、まだ休んでなかったのか」
 ノックもなく唐突に執務室へ入ってきたのは、いつも通りの飄々とした笑顔のラングリーだった。
 魔法教本を見ながらうつらうつらしていたリームは一気に眠気が吹っ飛んだ。しかし、動いたのはミハレットのほうが先だった。
「師匠! 師匠師匠師匠ーっ!! 大丈夫だったんですか!」
 抱きつかんばかりに突進するミハレットをラングリーは慣れた様子でかわす。ミハレットはつんのめったが、こちらも慣れているのか転ばずにもちこたえた。
「はっはっは、俺様を誰だと思っているんだ? あの程度の失敗でへこたれるラングリー様じゃないさ」
 やっぱり何か失敗したんだ、と、リームは思いながら、いつもなら見てるだけで腹の立つ俺様な笑顔に、どこかほっとする自分に気がついた。
「さて、リーム。ティナ・ライヴァートの迎えがまだのようだが……」
 顔は笑顔だが声が硬い。なんとなくリームはそう思った。
「あ、あの、さっき広間にいたのって、やっぱりティ――」
 ラングリーは膝を折り、リームと視線を合わせて、真正面から見つめた。赤褐色の瞳に映る自分の表情がひどく不安げに見えて、リームは言葉を詰まらせた。
「リーム。なんとなく分かっていると思うが……ティナ・ライヴァートは非常に……なんと言うか、扱いにくい。油断していると酷い目にあう。それでもお前は、雑貨屋に帰りたいか? ミハレットのように城に住み込みで魔法を学べば、『青』になれる日もそう遠くないはずだ」
 本気で私を心配している。それが分かる低く落ち着いた声音と真っ直ぐな視線だった。しかしリームは首をふった。
「ティナが不思議なのは最初から知ってます。それでも雑貨屋で働こうって思ったんです。ティナが私を必要としないんなら仕方ないですけど、たぶんティナは誰かを必要としてるんです」
 でなければ、あんなに多彩な魔法が使えるのに店員を雇おうなんて思うだろうか? 人間じゃないかもしれないティナが人間の街で雑貨屋をやっているのは、人間を必要としているからではないだろうか。
「それがよりによってお前なんだよな……まったく、運命の女神は性格が悪い」
 ラングリーの手がリームの頬に触れる。それは見た目よりずっと大きくて温かかった。


*                 *                  *

 アメジスト色の光の向こう、汎用魔方陣の部屋の石壁しか見えない景色が水面のように揺らぎ、見慣れた街並みに置き換わる。時間は深夜。家々の明かりもほとんどなく、星明かりだけが通りを照らす。
「さぁ、俺もティナ・ライヴァートに話があるからな。たぶんまだ起きてるだろう。ほら、明かりがついた」
 雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの店内に明かりが灯る。しかし、出迎えには出てこない。ラングリーとリームは、店の扉をくぐった。
 カウンターに腰掛けているのは、長い金髪をひとつにまとめた少女――不思議な雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの店主、ティナ・ライヴァート。二人の姿を確認すると、少し目を見開いた。
「思ったより立ち直りが早かったね。しばらく私の顔を見られないんじゃないかと思ってた」
「はっはっは。言ったでしょう。貴方は俺を信用しすぎで見くびりすぎなんですよ」
 ラングリーの言葉にティナは少し表情を和らげる。しかしまだいつもの明るいティナとは程遠かった。
「今回のことは、ほんと私の失敗だから。ごめんなさい」
「そうでしょうとも。今後気をつけてください。そしてもうひとつ。あれを撤回するようなことはしないでくださいよ。間違いなく俺が貰ったものですからね」
「え……まだ使う気なの? あんななったのに?」
「だーかーらー、見くびりすぎって言ってんだろ? ちょっと油断してただけで、次は使いこなしてみせるさ。後悔しても遅いぞ。俺にあれを与えたのは、お前の失敗なんだからな」
 一息にそこまで言い切ると、ラングリーはティナにぴしっと人差し指をつきつけた。お得意の俺様笑顔全開で。ティナはきょとんとした表情から一転して、腹の底から笑い声をあげた。
「あははははっ! そっか、そーね! なんだ、心配しちゃったじゃん……よかった。そんな酷い失敗じゃなかった!」
「いや、そーとー酷い失敗だからな? 本当に以後注意してくださいませよ、ティナ・ライヴァート殿。じゃあ、リーム。また来週な」
 片手をあげて店を出ようとするラングリーに、ティナは何故か驚いたようだった。
「えっ、ちょ……いいの?」
「何がですか」
「その……大事な娘さんを私みたいなのに預けて」
「娘じゃないです!!」
 おとなしく様子を見守るつもりだったリームは、つい反射的に声をあげてしまって、二人の視線に居住まいを正した。
「えっと、ティナ、私は不思議な雑貨屋だって話を聞いていて、それでもここに来たんです。ティナが普通じゃないのはもう十分わかってます。でも、そんなの関係ないです。王妃様だって、竜族なのに国王様とご結婚したじゃないですか。私はティナがたとえ人間じゃなくったって、ここで働きます」
「だ、そーだ。不肖の娘だが、よろしく頼むぞ」
「だから娘じゃないってばっ!!」
 ほほえましいやりとりをするリームの手を、ティナは膝をついて両手でにぎった。
「ありがとう、リーム。あなたがうちの店に来てくれて良かった」
「私もっ、私もティナの店で働けて良かったです!」
 目尻を下げて心底嬉しそうに微笑むティナは、確かに年相応よりも随分大人びて見えた。でもやっぱり自分を必要としてくれているんだなというのは分かって、リームはティナの手をぎゅっと握りかえした。
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2012/12/03 (Mon) 19:42
(1)魔法を学ぶ

 どんっ、とリームの目の前に積まれたのは分厚い4~5冊の本だった。どれも布張りのしっかりした装丁で、ひとつひとつが片手で持ち運ぶのは大変そうなほどの重さに見える。
「基礎魔法語、記述魔法語、精霊語。発音に特化した教本に、初歩の魔法陣形式。とりあえず、これをすべておぼえろ。文字を知らないと話にならないからな」
「分かりました。この本は持って帰ってもいいんですか?」
「あぁ、良いぞ。ただ、城の蔵書から借りてきたものだから、ちゃんと返すようにな」
 宮廷魔法士ラングリーの執務室はクロムベルク城の中庭に建つ塔の上にあった。塔にはいくつか部屋があるらしく、リームがいるのはその最も高い位置にある部屋だ。正面に飾り格子のついた窓とその手前に磨き上げられた大きな木机。左右の本棚には大量の本と巻物、アミュレットのようなもの、そして何故かレースで飾られた人形や淡いピンク色の花飾りなど、似つかわしくないものがところどころに置かれていた。
 中央の机以外に片側の壁沿いに長細い机があった。もともとは小物が置かれていたのだろう。今は除けられており、その空いた場所にリーム用の小さな椅子が置かれていた。
「じゃ、がんばれよ」
 軽く右手をあげてそう言うとラングリーは自分の机に戻る。リームは重い魔法語の教本の1冊を手に取りぱらぱらと中身を見ていたが、しばらくしてラングリーに言った。
「あの。こういう勉強はうちでもできますから。ここに来ている間に、もっとこう……実践的なこと教えてほしいんですけど」
 『青』になるために宮廷魔法士ラングリーのもとで魔法を教わることになって、リームは自分なりに今まで独学で調べてきたことを復習してきた。この腹黒宮廷魔法士のことは今でも気に食わないし、飄々とした笑顔を見るたびに馬鹿にされているようで腹がたつけれど、その魔法の技術だけは素直に認めている。どんなことを教わるのだろうと、期待していたし不安もあったし――でも『青』になるために絶対負けるもんか!と気合いを入れてきたのだ。
 それが、一番に渡されたのが語学の本。そして放置。正直拍子抜けだった。本を借りられるのはありがたいけれど、せっかくティナに送ってもらってまで来ているのだし、ここでしかできないことをやりたい。
 ラングリーは書類らしき紙束から視線をあげ、相変わらずの人を小馬鹿にしたような(とリームには見える)微笑みで言った。
「聞いてなかったのか? 話にならないんだ。ペンの持ち方も知らないやつに、恋文の書き方を教えられないだろう? まず、ペンを持つ。で、字が丁寧に書ける。内容はそれからだ」
「よく分からない例えですけど、自分でできる勉強はうちでやってきます。ここに来れるのは週に1度くらいなんですから、もっとためになることを教えてください」
「おいおい、それが人にものを教わる態度なのか? そんなやつは自分の娘じゃなかったら絶対弟子にしないぞー」
「誰が娘なんですか!」
 叫んでしまってから、にやにやと笑っているラングリーを見て、つい乗せられてしまう自分を悔しく思う。本当にこいつは性格が悪い。こっちだって『青』になるためじゃなかったら、絶っ対に弟子入りなんてしないんだから。
「……本を読むだけならここにいる必要ないですね。帰ります。おぼえてきたら、ちゃんと教えてくれるんですね?」
「もちろんだとも。『青』の試験なんて簡単に通れるくらいのことは教えてやるさ。教えてはやるが、できるかどうかはお前次第だ」
「必ずできるようになって、『青』になります!」
 はっきりと断言したリームにラングリーは満足げにうなずいた。椅子から立ち上がると細身の銀の杖と巻物をひとつ持ってリームの机に近づく。
「ティナ・ライヴァートはまだ迎えに来ないだろう? 俺が送ってやろう。本は俺が持つから、ちょっとこれを持っていてくれ。下の部屋に移動するぞ」
 渡された巻物と杖を持ち、ラングリーのあとに続いて部屋を出るリーム。銀の杖は細いわりに重量があった。よく見ると表面には細かい呪文が刻まれている。なんとか意味の分かる部分はないかと目をこらして読んでみたが、何一つ分からなかった。
 ひとつ下の階層の部屋は窓がないらしく扉を開けても真っ暗だ。ラングリーが入り口横の壁に触れて短い呪文を唱えると、いくつかのぼんやりとした魔法の明かりが部屋を照らした。何も物が置かれていない真四角の広い部屋。そこには床一面に大きな魔法陣が描かれていた。
「汎用魔法陣だ。あえて記述を未完成にして使用用途を広げている。空間移動の魔法の大部分はそっちの銀の杖に入っている。まぁ内容は分からんだろうが、流れだけでも見ておくといい」
 ラングリーは魔法陣の中央に魔法語の本を積み置くと、リームをその近くに呼び、杖と巻物を受け取った。ラングリーが呪文を唱えはじめると、床の魔法陣の線に沿って流れるように白い光が広がっていく。呪文が続くにつれて、その光は淡い紫色に変化し、眩しいほどの強さになった。そして、軽い浮遊感とともに、アメジスト色の光の向こう、石造りの部屋の風景が水面のように揺らぎ、別の景色に置き換わる――明るい日差しの下、通りに面した二階建ての店。青地に黄色の文字で書かれた看板。雑貨屋ラヴェル・ヴィアータだ。
「空間移動の魔法が扱えるようになれば、魔法士としてはエリートだな。大貴族や商業組合、神殿、どこからも引く手あまただ。あっという間に城が建てられるほどの稼ぎになるぞ。そこらの魔法士じゃ空船の運転士がせいぜいだからな」
「――え? なんでおじさん、一緒に来たんですか? 私、本くらい持てますよ」
 リームの疑問に、ラングリーは軽く呆れた溜息をついた。
「お前なぁ、ティナ・ライヴァートを基準に考えるなよ。人を対象にした空間移動の魔法は、術者も一緒に移動するのが当たり前だ。途中で何かあったら取り返しがつかないだろ」
 いつもティナに一人で移動させてもらっているリームとしては、そう言われてもいまひとつ納得できなかった。移動が一瞬すぎて途中で何かあるという事態が想像できない。空間移動の仕組みは難しすぎて、自力で調べた程度の魔法知識ではまったく欠片も理解できないのだ。リームはラングリーにそうなんですか、とだけ答えて、重い4~5冊の魔法語教本を両手でかかえた。
 ちょうどその時、雑貨屋の入口が開き、噂のティナが顔を出した。
「リーム、ラングリー! どうしたの。早かったのね」
「いえ、ティナ殿。リームが自習ならうちでやりたいと言いましてね。あぁ、あと、これはティナ殿に。約束のやつです」
 ラングリーがティナに手渡したのは、執務室から持ってきた巻物だった。ティナは封を解いて初めの方を確認すると、わずかに眉をしかめつつもうなずいた。
「分かった。ちょっと時間がかかるかもしれないけど、考えとく」
「よろしくお願いしますよ。じゃあな、リーム」
 ラングリーはリームとすれ違いざまにぽんぽんと頭をなで、両手が本でふさがったリームは抵抗のうなり声をあげて心底嫌そうに首をぶんぶんとふった。

(2)店番のおともは魔法語教本

「…………ル、ルェート……Блζ=лбζ……」
「んー、それは多分、бζ=л」 じゃないかなぁ?」
「あ、そっか……」
「そのあたり活用が難しいよねぇ。私も昔、おぼえるの大変だったよ」
 ラングリーに魔法語の本を借りてから、一ヶ月が経った。
 夏の暑い盛りを乗り越えて、ようやく涼しい風が吹き始めた今日この頃。リームは休みの時も店番をしている時も、常に魔法語の本を片手に勉強していた。
 相変わらず客の来ない雑貨屋の店内でカウンターの椅子に腰かけて勉強しているリームを、ティナは微笑ましく見守っていた。
「魔法語と記述魔法語の違いは分かりやすいんですけど、魔法語と精霊語が似ているようで全然違うところもあったりして、ごっちゃになるんです。ティナはライゼール王国の出身だから、精霊語は小さい頃からできたんですか?」
 ライゼール王国はクロムベルク王国から北の海を渡った先にある国で、精霊派<エレメンツ>が国教だったはずだった。精霊使いも多く、精霊語もずっと一般的に違いない。しかしティナは首をふった。
「ううん。私は田舎の村で育ったから、そもそも読み書きできる人も少なかったし、精霊使いも魔法士もほとんどいなかったの」
「そうなんですね。やっぱりティナは魔法士になるために都会に出たんですか?」
「いや、村で唯一の魔法士だった先生に教わったんだ。でも途中でお母さんが病気になっちゃったから、治療法を探すために見習いのまま風従者になって村を出たんだけどね」
 風従者は、一定の住まいを持たず自分の技術や資質だけを頼りに旅をして暮らす人々のことだ。いわゆる何でも屋のようなもので、浮浪者のような人から騎士のような身なりの人まで様々だ。そういえば、フローラ姫からティナは昔風従者だったらしいと話を聞いたおぼえがある。
「それで、お母さんの病気は治ったんですか?」
「うん。無事病気も治って、前よりも元気……元気? うん、まぁ元気といえば元気になったかな」
 微妙な言い回しだったが、ティナが笑顔だったので、リームは安心した。
 しかし、こうしてティナの話を聞いていると、人間かどうか疑っていたことが完全に間違いに思えてくる。作り話めいたところはまったく感じない。
 リームはついまじまじとティナを見てしまい、それに気がついたティナはちょっと勘違いしたらしく、軽く片手を振りながら言いつくろった。
「あ、大丈夫よ、ほんとに元気だから。それで、リーム、明日ラングリーのところに行くってことでいいんだよね?」
「はい。この前、魔法の鳥と話して、だいぶ魔法語おぼえたことは認めてもらいましたから。やっとこれからが本番です。なんでもフィードの感知と魔力の広げ方?をやるとか言ってました」
「あぁ……そうなんだ。うん、まぁそうだろうね……」
 リームの言葉を聞いたティナは、何故か気まずそうな表情をした。なんとなく視線をナナメ上にさまよわせている。リームにはその理由が見当つかず、率直に尋ねた。
「なにか問題があるんですか?」
 ティナはそのままの表情で視線をリームに戻し、言葉を選びながら言う。
「まぁ、なんていうか……ラングリーから聞くかもしれないけど、たまに私の周りでは魔法の力が正常に働かないかもしれないから……習ってきても、ここで練習するのは難しいかも」
「えっと、それってどういうことですか?」
「うーん、なんだろ。伊達に不思議な雑貨屋じゃないっていうか、まぁ不思議じゃなくなるのが目標なわけだけど、現時点では難しい……かも。まぁ、そういう魔法があるって思ってくれれば」
 魔法の力が正常に働かなくなる結界のような魔法をティナが使っているということだろうか? だったらそう言ってくれればいいのにとリームは思ったが、そう言わないということはそれは正しい表現ではないのだろう。
 正直まったく分からなかったが、リームはとりあえず分かりましたと答えるしかなかった。
 人間のようにしか見えないのに時々こういうところが怪しさ満点の、相変わらず正体不明な謎多き店主だった。

(3)宮廷魔法士の弟子

 美しく整えられた花壇と石畳の小道、まだ日が真上に昇り切っていない柔らかな陽射しの中、さわさわと風だけが通り抜ける。
 そんな晩夏のクロムベルク城の中庭に、紫色の光があらわれた。その光が薄れ、光の中からシルエットが見えてくる。灰色のワンピースを着て分厚い本を何冊も持ち、黒髪を肩までおろした少女――リームだ。
 約1カ月ぶりのクロムベルク城。中庭には石造りの塔が建っていた。宮廷魔法士ラングリーの執務室や居住場所がある塔だ。
 やっと今日から本格的に魔法を教えてもらえる。ラングリーに会うのは嫌だけれど、魔法を教えてもらえるのは楽しみにしていた。
 魔法語を勉強していて実際自分でも魔法を使ってみようと試したのだが、滅多にうまくはいかなかった。<小さき光>ぐらいの基本的な魔法からちょっとでも他の要素を足そうとすると、とたんに発動しなくなる。呪文の発音はティナにも確認してもらって間違いなく正しいはずなのに。やはりなんらかのコツがいるようだった。
 塔の入口の大きな木戸を背中で押し開けるようにして中に入る。1階はシンプルな応接間のような部屋になっていた。今は誰もいない。入口のすぐ横から壁に沿ってらせん階段があり、上の階へと続いている。
 重い本を両手にかかえて最上階まで上がるのは少々骨が折れるが、文句は言っていられない。リームはよしっと心の中で気合いを入れて、石造りの階段をのぼりはじめた。

*             *             *

 軽く息をあげながら最上階にたどり着いたリームは、ラングリーの執務室の扉の前で、一応礼儀上ノックをしなければと本を一旦床に置こうとした。
 と、その時、突然扉が開いた。外開きの扉は当然目の前にいたリームにぶつかりそうになる。
「っきゃ!?」
「おおっと、すまない!」
 よろけたリームを支えたのは、しかしラングリーではなかった。
 背の高さはリームよりわずかに高い程度、おそらく年齢もそう変わるまい。肩より短い蜂蜜色の髪を外にはねさせ、瞳は濃い青色。そしてどこかで見たような黒いローブを着た少年だった。
「大丈夫か? 重そうな本だな。師匠に頼まれたのか。あいにく今師匠は出かけているんだ。もうそろそろ帰ってくると思うんだが……本は渡しておくよ。ありがとう」
 そう言いながらリームの抱えている本を受け取る少年。リームはあっけにとられてしまって咄嗟に反応できなかったが、すぐに状況を飲みこんだ。まるであつらえたように同じローブを着ていればおのずと答えは分かってくる。師匠とは、ラングリーのこと。弟子はとらないと言っていたが、いるではないか。
「……? どうした? 何か他に言いつかっていることがあるのか?」
 魔法語教本を机に運びながら少年がリームに聞く。間違いなくこの少年はリームのことを小間使いだと思っているのだろう。まぁ、慣れてるけどね……リームは少し遠い目をして答えた。
「あの、私は本を届けにきたんじゃないの。私は魔法を教わりにきてて……」
 リームが言い終わる前に、少年は納得の表情でうんうんと大きくうなずきながら言った。
「あぁ、なるほど。うんうん、そうだな、師匠に憧れるのはよーく分かるぞ。師匠は世界で一番、聡明で強力で独創的な素晴らしい最高の魔法士だからな! しかし残念なことに、師匠はそう簡単には弟子をおとりにならないんだ。ここまで来る行動力は認めるが、弟子になるのは無理だろう。諦めた方がいい」
「いや、そーじゃなくて……」
 その時、階段から足音が聞こえ、リームが振り向くと、いつも変わらぬ飄々とした笑顔のラングリーがあがってくるところだった。
「おう、お前たち。そんな入口につったって、何をやっているんだ?」
 部屋の中の少年もラングリーに気付き、ぱっと笑顔になる。なかなか華やかな見た目の少年だ。黒いローブよりも銀糸の刺繍のはいった豪華な服のほうが似合うだろう。
「師匠! おかえりなさい! この子が本を運んできてくれたのですが、師匠が頼んだものですか?」
「あぁ、そういえば、お前たち顔を合わせるのは初めてだったなぁ」
 そう言うラングリーが、一瞬いたずらを企む子供のような笑みを浮かべたのをリームは見逃さなかった。こいつ、何かイヤ~なこと思いついたに違いない。警戒するリームをよそにラングリーは明るい笑顔で続けた。
「リーム、こいつはミハレット。まぁ一応、俺の押しかけ弟子みたいなもんだ。ミハレット、こいつはリーム。新しい弟子だ。ふたりとも仲良くするんだぞ」
 予想がついていたリームはそれほど驚かなかったが、飛び上るほど驚いて大声をあげたのは少年――ミハレットのほうだった。
「あああ、新しい弟子ぃっ!? ししし師匠っ、どういうことですかっ!? オレは、あんなに! あーんなに苦労して弟子にしていただいたのにっ!! 急にひょいと来て弟子になれるなんて、おかしいですっ!!」
「俺がいつ誰を弟子にしようと、俺の勝手だろう?」
 涼しげに言うラングリーに、ミハレットは頭をかかえて身をよじる。あまりの興奮具合にリームは思わず身を引いていた。
「それは! そうですが! ――あああ、納得できませんっ!! 師匠っ!! オレは一番弟子としてっ!! この子が師匠の弟子にふさわしいかどうか、試させていただきますっ!!」
「んー、まぁ、お前ならそう言うと思ったさ。というわけだ、リーム。こいつを納得させるのは大変だぞ? がんばれよ」
 ラングリーに満面の笑みでぽんと肩を叩かれ、リームはうろたえた。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! 今日こそは魔法を教えてくれるって、言ってたじゃないですかっ!」
「こいつにギャーギャーわめかれながらか? それは無理だろう。ま、何事にも試練はつきものだからな」
 その笑顔は、明らかに状況を楽しんでいる表情だった。こいつ……またこうなることを分かっていて黙っていたに違いない。性根が腐っている。この腹黒中年魔法士がっ。
 リームの呪いの視線にも、ラングリーはどこ吹く風といったような明るい表情だった。

(4)弟子の試練

 ラングリーは笑顔で執務室の中に去り扉は閉められ、部屋の外に残されたのはリームとミハレットだけだった。
「よーしっ、まずは、お前がどれだけ師匠のことを知っているか試験してやろう! 弟子になるためにはまず師匠のことを知らなければならないからな!」
「だから、ちょっと待ってってば! 私は好きであいつに魔法を教わってるわけじゃないんだから!」
「あ・い・つ……? まさか、まさかまさかそれは師匠のことじゃないだろうな!? お、お前は弟子の風上どころか風下にも置けないというよりむしろ人間として救いようのない奴だな!? どういう礼儀作法を教わって育ったんだ!!」
 面倒くさい。すごい面倒くさい。なに、こいつ。
 リームは苛立ちを抑えきれなかった。やっと魔法を教えてもらえると期待して来たのに、何故こんな面倒なヤツの相手をしないといけないのか。
 しかし『青』に推薦してもらうためには、どうしても宮廷魔法士ラングリーの弟子という地位は必要だった。才能がないと断言されたからこそ、それが唯一の『青』への道。
 深呼吸。ぐっとお腹に力を入れる。なるべく落ち着いた大人びた声が出るように努めた。
「ごめんなさい。確かに言い方が悪かった。私は『青』に推薦してもらうために、あい……宮廷魔法士ラングリーの弟子である必要があるの。二番弟子でも別に文句はないから、認めてくれない?」
「お前、『青』に推薦してもらうために師匠の弟子になりたいのか? 動機が不純だ。そんなことでは、師匠の弟子として認められないな!」
 こいつ……話にならない!
 リームはゆらゆらと怒りをまとってミハレットを睨みつけた。ぐっと握ったこぶしがふるふる震える。射殺ろさんばかりの視線に、さすがのミハレットも気圧されたようだ。
「う、うん。まぁ、お前のがんばり次第では、認めてやらんこともないかなー」
「…………で、何をすればいいわけ…………」
「えーと、まず、落ち着くんだ。呪い殺しそうな視線で人を見るな。魔法士たるもの、いついかなる時でも冷静沈着でなければならないって師匠が言ってたぞっ」
 とりあえず、リームは矛を収めた。こいつがラングリーの弟子である事実が変わらないのであれば、一刻も早くこの茶番を終わらせたい。
「なるべく早く終わらせてよね。私はこんなことする暇があったら魔法を習いたいの。あんたもそうじゃないの?」
「お前、本当に口が悪いな……オレはあんたじゃなくてミハレットだ。ミハレット・エフォーク。お前はリームと言ったか。家名は?」
「家名なんてあるわけないよ。孤児なんだから」
「……そうなのか。それは失礼を」
 おそらく無意識だろう、胸に片手をあてて謝罪するミハレットの憐れみの混ざる視線に神経がざらざらと逆なでされるようで、リームは軽く唇を噛んでそれを抑えた。ミハレットの言葉遣いと丁寧な所作に貴族の影が見えることに、更に嫌悪感をつのらせる。
 私、こいつ、きらい。オジサンの次ぐらいにキライだ。

*              *              *

「次は、師匠の部屋の掃除だ。師匠のために自ら進んで掃除をするのが、良い弟子というものだ!」
 最初の試験、師匠のことをどれだけ知っているか、というのは、結局、ミハレットによる素晴らしい師匠の経歴の数々を聞かされるだけに終わった。出会ってから一刻も経たないうちに、ミハレットがラングリーに異常な敬愛を抱いていることはよーく分かった。分かってもなんのためにもならなかったが。
 続いてミハレットに連れてこられたのは、塔の2階にあるラングリーの自室部分だった。ベッドと書き物机とクローゼットしかない部屋で、それなりに整頓されている。
「さぁ、それでは、がんばりたまえ!」
「ふーん。まぁいいけど、掃除するのになんでバケツと雑巾しか持ってきてないわけ?」
「……は? 他に何か必要なのか?」
「掃除するには、まずハタキで上から順にほこりを落として、それから床を掃いて、水拭きはその後でしょう」
 イライラをそのまま言葉に乗せてとげとげしく言うリームに、ミハレットは少し意気を落とす。
「そ、そうか……そういえば、女中たちがそういう道具を持っていた気がしないでもないな」
 お貴族様はこれだから。きっと掃除なんてここに来て初めてやったに違いない。リームは肩をすくめて物置に掃除用具を取りに行った。
 神殿付属の孤児院で育ったリームにとって掃除はお祈りと同じぐらい日常的なもの。てきぱきとこなす様子をミハレットは部屋の入り口でぽかーんと見ていた。
 ひととおり掃除を終え、道具を片付け終わったリームはミハレットに言った。
「さ、終わったけど、次は何すればいいの?」
 不満を隠さず刺すように睨みつける。しかしミハレットはきっちり掃除された部屋を眺めて感心したように言う。
「すごいなぁ……リームは女中見習いなのか? まぁ城に入れるんだからそうなんだろうな」
 なんで貴族ってどっか抜けてるような天然マイペースが多いのか。かすかにフローラ姫のことを思い出しつつ、リームはため息をついた。
「いや、掃除ぐらい貴族じゃなければ誰でもできるでしょ。私は雑貨屋で働いてるの。ミハレットみたいに毎日暇してる貴族ならいいんでしょーけど、私はわざわざお休みもらってここに来てるわけ。本当に早く魔法の勉強したいんだからね!」
「オレは家の名前は捨てたんだからもう貴族じゃないぞ。魔法士として生きていくんだ。そもそも、魔法の力は平等だ。貴族も庶民もない」
「はいはい。ならきっと、住むところも食べ物も自分で手に入れてるんでしょうね?」
「うっ……いや、それは、ちょっと家の名前で借りているだけだ。いずれ魔法士としての稼ぎで返すんだ」
 しどろもどろなミハレットに、リームは再び大きなため息をついた。これみよがしなため息だったが、ミハレットに効果は薄いらしい。
「はい、次ね、次。ていうか、もう弟子として認めてくれる?」
「いや、まだだ。世界一の師匠の弟子ならば、世界一の弟子であることを目指さなければ! 次は、差し入れだ。調理場に行くぞ!」
 ラングリーに関わることだけ不必要なほどやる気に満ち溢れるミハレット。こんな調子で付きまとわれたから弟子にせざるを得なかったのだろうか。本当に面倒くさいやつだった。

*              *             *

 クロムベルク城の調理場は広間のように大きく、何十人もの調理師が働いている。王様や王妃様のお食事はもちろん、定期的に開かれる晩餐会の食事や、大臣や神官、近衛兵、宮廷魔法士など城に住み込みで働いているものたちの食事も作っていた。
 ミハレットは城の中では有名らしい。とても貴族が通らないような通用口を通っていても使用人たちは会釈をするばかりだ。慣れた様子で調理場に入っていくと、ひとりの体格の良い調理師が声をかけてきた。
「おや、ミハレット坊ちゃん。今日もラングリー様への差し入れですかな?」
「あぁ、そうなんだ。クロッツ菓子はあるかな?」
「それが、あいにく今きらしておりましてねぇ。まぁ材料はありますから、1刻ほどでできあがります。お部屋ででもお待ちいただければ届けさせましょう」
「いや、取りにくるよ。よろしくな」
「……え? 作るんじゃないの?」
 先ほどの掃除のように自分でやるのかとばかり思っていたリームは、ミハレットのうしろでつぶやいた。ミハレットが軽く驚いた様子でふりかえる。
「作る? 自分でか? ……あぁ、そうか。リームは料理もできるのか……なぁ、ドルマー、オレにも作れるかな?」
 どうやらミハレットにはそもそも料理を自分で作るという発想がなかったらしい。聞かれた調理師は困った顔をして片手で帽子を直しながら言った。
「いやぁ……それほど難しくはないですがね。坊ちゃんに火傷でもされたら、あっしらが怒られますからねぇ」
「じゃあ、私だけやればいいですね。ミハレット坊ちゃんはお部屋ででもお待ちいただければお届けしますよ?」
 リームがからかう調子で言うと、ミハレットはむっとした表情で首をふった。
「いやっ、オレもやる! 一番弟子として、負けてはいられないっ」
 こうして何人もの調理師に見守られながらリームとミハレットはクロッツ菓子を作り始めた。
 ミハレットの不器用さは目を見張るものがあった。卵をかき混ぜるだけでこぼしそうになる。リンゴを切る時は、どうかそれだけは代わりにやらせてくださいというドルマーに断固として譲らずに挑戦、予想通り指を切りそうになり、見守る調理師一同が息をのんだ。
「まったく、お嬢ちゃんが変なことを言いださなきゃなぁ……それにしてもお嬢ちゃん見ない顔だけど、新人かい? 随分坊ちゃんと仲が良いように見えるが」
 ミハレットが四苦八苦している間、手際良く生地作りを終わらせていたリームにドルマーが言った。
「まさか! 仲良くなんてないですよ。今日会ったばかりです。私、宮廷魔法士の弟子になりました、リームといいます」
「ほほぉ、そりゃあまた。ラングリー様が新しい弟子をとるとはね。坊ちゃんが弟子になると言いだしたときは、それはもう大変だったさ。ラングリー様は貴族にも容赦しないから、いつ坊ちゃんがやられるかと心配したもんだが、さすがに子供には手を出しづらかったようだねぇ。とうとう折れたのが1年くらい前かな。お嬢ちゃんはいったいどうやって弟子になったんだい?」
「まぁ……なりゆきで」
 フローラ姫が自分を引き取りたいなんて言わなければラングリーと出会うこともなかっただろうし、そうだとしたら『青』のひとりから直々に才能がないと断言された自分が『青』を目指すのは途方もない話だったろう。
 本当はフローラ姫やラングリーに頼るのは嫌だった。自分ひとりの力でなんとかしたい気持ちはあった。しかし、どうしても『青になるのは不可能でしょう』という言葉が頭から離れない。そして『ラングリーの弟子になれば、青になれるかもしれない』という言葉が。憧れの青の魔法監視士から言われた言葉は、重い。
 自分の矜持と夢とを天秤にかけて、リームは夢を選んだのだった。


 リンゴを混ぜ込んだ焼き菓子『クロッツ菓子』は、リームの作ったものはそれなりに形になっていたがミハレットのものはぼろぼろと崩れて菓子の形をなしていなかった。
「なんでこうなるんだ……? リームと何が違うんだ?」
 中庭の塔に戻る道すがら、ミハレットは自分の作った菓子を見てため息をついた。天然マイペースで猪突猛進なミハレットも落ち込むときは落ち込むらしい。
「でも、味はそんなに違わなかったし、いいんじゃない?」
 あまりの気の落としように思わず慰めの言葉をかけてしまうリーム。超絶不器用ながら真剣にお菓子作りに取り組んでいたのを見ていたら、馬鹿にする気にはなれなかった。面倒くさいやつですごく嫌な奴だけど、真っ直ぐなんだよなと思う。そこが某腹黒オジサンとは違うところだ。
「いやっ、師匠に食べていただくんだったら、ちゃんとしたものでないと! とりあえず、今日はリームのだけ渡してくれ。次こそはちゃんと作るからな」
 そして、こんなに真っ直ぐ慕う対象がなんでアレなんだろうと、ものすごく不思議だ。やはり魔法の技術がすべてなのだろうか。リームには分からなかった。
 ふと、塔の入口の前に人が立っているのが見えた。金髪を高い位置でひとつにまとめ、動きやすい普段着を着た若い女性――ティナだ。リームははっと息をのんだ。いつの間にか予定の時間を過ぎていたのだ。どれくらい待たせてしまっただろう。リームは塔にむかって駆けだした。
「ティナ! ごめんなさい。うっかりしてました。待ちましたか?」
 そんなリームをティナは笑顔で迎える。
「ううん、全然大丈夫よ。ちょっとラングリーに用事もあったし、問題ないわ。そっちが例のミハレットくん?」
 ラングリーから話を聞いたのだろう、追いついたミハレットを見てティナが言う。ミハレットのほうもリームに聞いた。
「リーム、この人は?」
「私が働いている雑貨屋の店主さんだよ。いつも迎えに来てもらってるの」
「初めまして、ミハレットくん。ティナ・ライヴァートよ」
「初めまして。ミハレット・エフォークだ。どうぞお見知りおきを」
 片手を胸にあてて一礼するミハレットに違和感を抱かないらしいティナは、やはりある程度貴族との付き合いに慣れているようだった。
「どうする? リーム、もう帰る? ラングリーに挨拶してからにする?」
「挨拶は別にいいんですけど、これを届けなきゃいけないんです。あと、魔法語の本も借りて帰りたいですし」
「うん。じゃあ行こうか」
 3人は塔をあがり、執務室へとやってきた。ティナがノックをして扉をあける。ラングリーは正面の机に座り何やら真剣な顔で巻物を見ていた。3人を見ると、ふっといつもの笑顔を見せたが――目が笑っていない、とリームは思った。
「おかえり、リーム、ミハレット。どうだ? 試練は乗り越えられそうか?」
「さすが師匠が選んだだけあって見込みはあると思います。ですが! まだ正式に認めるわけにはいきません!」
 あれだけやって、まだなの? リームは隣からミハレットを睨みつけたが、ミハレットは気づいていない様子だった。
「クロッツ菓子、作ってきましたよ。ミハレットがいつも差し入れしてるそうですね? どうぞ」
「おお、悪いな。なんだ、リームが自分で作ったのか? これはフローラにやったら大喜びだな。持っていってやらないと」
 リームが渡した袋から菓子を取り出して見ながら、満面の笑みで言うラングリー。その言葉をミハレットは不思議に思ったようだ。
「フローラ様に? フローラ様はそれほどクロッツ菓子がお好きでしたでしょうか」
 いけない、バレる。リームは咄嗟に思い、その隠したい事柄を自分がいまだ認めてないことには気がつかず、声をあげた。
「それじゃ、私は帰りますね! 魔法語の本、借りていきます。さぁ、ティナ、帰りましょう」
 横の机にまとめて置いてあった魔法語の本をかかえ、ティナに言う。ティナはそんなリームの懸念に気付いたのだろう、仕方がないわねというような笑みを浮かべた。
「またね、ラングリー。ミハレットくん」
 ふたりが部屋を出る直前、ラングリーが口を開いた。
「ティナ・ライヴァート殿。貴方は、これを俺に渡す意味を、本当に分かっているのですか?」
 ラングリーの表情に、いつもの飄々とした笑顔はない。真っ直ぐにティナを見ていた。一方のティナは、けろっとした笑みで小首をかしげる。
「意味も何も、あなたが必要だって言ったんじゃない。私は、あなたがそれを持つことに、何か問題があるとは思わない」
「貴方は俺を信用しすぎているのか、見くびりすぎているのか、どちらかですね」
「どちらかだったら何か問題あるの? 私は、そうは思わないってことよ」
 にっこり笑うティナとその隣で目をぱちぱちさせながら様子を見ていたリームが、淡い紫色の光に包まれた。一瞬で強さを増した光は突然ふっと消え、その後にはすでにふたりの姿はなかった。
「……師匠、あの人は、一体……?」
 ミハレットが茫然と尋ねる。ラングリーは長く息をつき、髪をかきあげた。
「気にするな。知らない方がいいことも、世の中にはあるってことだ」
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