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散らかった机の上
ライトファンタジー小説になるといいなのネタ帳&落書き帳
Admin / Write
2024/05/06 (Mon) 00:39
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2010/04/13 (Tue) 00:34

(4)店主の知人

 しとしとと細い雨が落ちていた。
 庭園に咲く色とりどりの花は、空を覆う雨雲の下でも尚あざやかだ。宝石のような雫に全身を飾っている。
 常に雨露をまとう魔法の花というのもいいかもしれない。今度フローラへの贈り物にしよう。
 高い塔にある執務室の窓から庭園を見下ろす男は、頭の中で複雑な呪文を組み立てながら遠き地の愛する人を想った。
 と、その窓に、小さな小鳥が飛来した。地味な茶色い翼の、どこにでもいるような小鳥だ。
 小鳥は男のさしのべた手にとまると、ふわっと光をまとい、次の瞬間には空中に小さな映像を浮かび上がらせた。
 街の商店街で、黒髪を肩までおろした少女が買い物をしている。メモを見ながら買っていく品物は、さまざまな日用品だ。小さな体にあまるほどの袋を抱えて よたよたと通りを歩いていく。
 通りの商店がまばらになったころ、少女はある店に入っていった。見た目はどこにでもあるような店構え。看板には青地に黄色の文字で雑貨屋ラヴェル・ヴィアータと書いてある。
『ティナ~、ただいま戻りました~』
『お疲れ様! 重かったでしょ。そこらへんにまとめて置いておいてくれればいいから』
 店の奥に入っていく黒髪の少女。迎え出た金髪をひとつに結った若い女性は黒髪の少女を先に行かせ、自らは店の戸口から真っ直ぐこちらを見つめた。――映像を見ている男と目が合うほどに。
『どこの誰だか知らないけれど、しつこいのね~。今度は本物の鳥を触媒に使ってるの?』
 女性のさしのべた手元に、ぐっと映像が引き寄せられる。女性が呪文を唱えたそぶりはない。ありえないことだった。
『あれっ、違うんだ。スゴイ……どーやってんの、これ?』
 すっと光が消え、映像はそこで終わった。男の手にとまっていたと見えた小鳥は、魔方陣の描かれた羊皮紙へと姿を戻す。
 金髪の女性。名前がティナ。なにより、あの不条理な魔力と、その隠し方の稚拙さは。
「まったく。なんてとこに転がり込んだんだ、お前は……」
 苦笑を含んだ呟きをもらすと、男は執務室を出て行った。このままずっと様子をみているわけにもいかない。状況を動かすためには……助力を請う必要があっ た。

          *      *      *         

「それで、これ、どうするんですか? 新しい商品なんですか?」
「まぁ、そういうことね。良いモノなら、だけど」
 リームが買ってきた品物をひとつひとつ確かめながらティナは言った。リームはうんうんとうなずく。
「それがいいですよ! 飛び跳ねるお皿とか甘い胡椒とか、ヘンテコなものを卸す仕入先とは、縁を切ったほうがいいですって」
 リームを狙う老人たちが現れてから5日。それ以降追手もなく、いつも通り平和に雑貨屋を営む毎日だった。
 ただ、雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの『いつも通り』は、ひたすら暇で、たまに来るのは肝試し気分の少年達やら妙な商品を返品しに来た客やら、という日々であったりする。
 皿もほうきも武器もアクセサリーも、仕入先はもちろん別々の職人のはずなのに、どうしてこの雑貨屋にはヘンなものが集まってきてしまうのか。不思議というより呪われているようだった。
「ほら、ティナ。この小皿可愛い! サロメイッテ村の品物ですよ。良いんじゃないですか?」
「うん、いいかもね。サロメイッテ村って……有名なの?」
「知らないんですか? あぁ、ティナは他の国の出身だっけ。西のシェシェ湖の側にある、国で一番陶器が有名な村ですよ」
「そうなんだ~」
 とりあえずその日はこれが良いあれが良いと相談しながら、客の来ない1日を閉店まで楽しく過ごしたのだった。

 今日の晩御飯はベーコンと野菜の麦粥、小魚チェチェムの唐揚げ、デザートにトゥムベリーの蜂蜜漬けまである。あいかわらず豪華な食事だ。
「ねぇ、ティナ、そろそろあの話考えてくれました?」
「え? あの話って……あぁ、そうだ」
「あ! ティナ、忘れてましたね!? ひどいです、私にとってすごく重要なことなんですよ!!」
「ごめんごめん。でもやっぱり、他人に教えるとなると難しくて」
「そこをなんとかお願いします! 魔法士になるのが私の夢なんです!」
 ティナが実力のある魔法士だと分かったときから、リームはティナに魔法を教えてくれと頼み込んでいた。
 しかし元々魔法士は素質がないとなれるものではない。そよ風を起こす程度の些細な魔法なら、呪文を正しく発音できれば多くの人が使うことができるが、実用性のある魔法となると、扱えるのは本当にわずかな才能ある者だけだ。
 ティナは一番にそれを話してリームの頼みを断わった。しかしリームもそう言われることは十分予想していたようだった。
「れ、レィ……レェ……фжη=бп」
 つっかえながらリームが呪文を唱えると、手のひらの上に光の球が生まれた。それはしだいに大きさを増し、両手からあふれるほどの大きさになるとフッと空気に溶けるように消えた。
 子供の遊び程度に使われる魔法で、一般的には指先程度の光を生み出すことができる魔法だが、光球の大きさが大きいほど魔法の才能があるという指標にもよく使われるものだった。
 リームの作り出した大きさなら、十分魔法士になれる可能性があるものだと、孤児の仲間達の中では言われていた。ただ大人には見せたことがなかった。神官に見つかると神殿付きの魔法士になるよう教育されるので、孤児たちはほとんど皆、大人に魔法を使った遊びを見られることのないよう気をつけていたから。
 それくらいじゃ魔法士になれないと否定されたらどうしよう、と、不安げにティナの様子をうかがうリーム。
 ティナはどこか痛いのかと思うぐらい眉間にしわを寄せて悩んでいた。ちょっと待って、と言うと、片手をこめかみあたりに当てて、たっぷり2分ぐらい悩んでいた。
「……んーっと、ね。リーム。たぶんリームは魔法の才能はあると思う。でも私は、ちょっと……自己流? っていうか、きちんとした系統の魔法を学んでなくて……教えるのは無理かなーって思うの。うん。……はぁぁ。そっかぁ、リーム、魔法に興味あったんだー……」
 リームはティナが何故ため息まじりに話すのか分からなかったが、魔法の才能があると言ってもらえたことだけで、不安で重かった気持ちが一気に羽のように軽くなった。
「才能、ありますか!? やったぁ! ティナ、私、がんばります! 別に魔法学校みたいに教えてくれなんて言いませんから、ティナのやり方で教えてもらえませんか! お願いします!」
「え、ちょ、うん、分かった、考えておくよ、だからちょっと落ち着いて、リーム」
 がっしり手をつかまれてキラキラした目で見上げられて、ティナは仕方がなくそう言ったのだった。
 そして今日。夕食中に再びリームに詰め寄られたティナは、軽く溜息をついてリームの頭をこづいた。
「何度も言うけど、本当に私に魔法を教わるのはリームのためにならないと思うの。ちゃんとした師匠につくなり、魔法学校に行くなりしたほうがいいと思う。素質ある人は少ないんだから、引く手あまたでしょ」
「でも、だから危険なんだっていうのが、神殿での常識でしたよ。孤児の仲間でも、魔法の才能があるって分かったら、あやうく誘拐されかけたなんていう子もいました。そしてすぐ貴族にもらわれてっちゃいましたよ」
「貴族のところにいたほうが、魔法をしっかり教えてもらえるんじゃない?」
「とんでもない! 貴族付きの魔法士になんてなりたくないです。私は『青』になりたいんですから!」
「うわ……」
「そんな顔しないでくださいよー、夢は大きくたっていいじゃないですかっ」
 ティナの表情を勘違いしたのか、リームはちょっと照れながら言った。ティナとしては別にリームが『青』になりたいということをばかにした意味ではなかったのだが。ただティナにとってかなり都合が悪い夢ではあった。
「そ、そうね。夢は大きいほうがいいよね……。だったら尚更、ちゃんと基本から学んだほうがいいと思うわけよ。魔法士の私が言うんだから本当よ」
「そ、そうなんだ……うーん……分かりました。残念ですけど、ティナから教わるのは諦めます。でも、たまに魔法見せてくださいね?」
「あぁ、うん、そうね……あははは」
 笑って誤魔化しながらチェチェムの唐揚げを食べるティナ。その様子を見ながら、年のわりに聡明なリームは何か隠し事があるんじゃないかと思いはしたが、この店主に謎が多いのはいつものこと、と、あまり深くは考えなかったのだった。


 翌日。
 リームが開店準備をしていると、ティナが大きな木箱を抱えて階段を降りてきた。
「あ、リーム。そこのテーブルの上のコップ寄せて、これ並べてくれる?」
「はーい」
 木箱には屑布に包まれた食器のようなものが沢山入っていた。一枚一枚布から取り出してテーブルに並べていく。柔らかいミルク色をしたその食器は、落ち着 いた紅色の線で装飾がほどこされていた。その独特な紋様は、クロムベルク国では有名で。
「サロメイッテの皿じゃないですか! もう仕入れたんですか!」
「うん、リームも薦めてたじゃない」
「そりゃそうですけど……昨日商隊来てましたっけ? よその店から買い取ったんですか?」
 昨日は買い物から帰ってからずっとティナと一緒にいたので、ティナはよその店に行ったりはしていないはずだった。部屋から魔法を使った手段で仕入先と連絡を取ったとしても、今朝納品の馬車は見ていない。
「ま、独自のルートってやつね」
 そんな得体の知れないルートを使うから、商品もアリエナイ欠陥品だったりするんじゃないかなぁ。
 笑顔のティナとは対照的に、リームは眉をひそめて真新しい皿を見つめるのだった。

 西の空、雲の合間から見える陽光は、わずかに赤みを帯びはじめていた。
 結局、新しく店に並んだ皿も1枚も売れず。リームは暇をもてあましてカウンターに座っていたが、突如として店を取り巻く無数の光球があらわれ、バチバチバチっと何かがはじける音が鳴った。
 それと同時に、2階から駆け下りてくる足音。
「リーム、無事っ!?」
 店の外にある光から、ひとつ、ふたつと、店の入り口から中に入ってくる。リームの隣に立ったティナが素早く呪文を唱えるたびに光の球は 霧散していく。しかし、店の外にある光球は減る様子を見せない。
「前のじーさんと違って、わりとやるみたいね!」
 ティナが呪文をつむぎ両手を広げると、生まれた風が店の外へと向かう。光球は明滅を繰り返し全て消えかかるも、また新たに別の色みをおびた光が現れた。
「うあ、そこまで編み上げてくる?」
 うんざりした声音で言うティナ。リームには何が何だか分からない。複雑極まりない魔法のやり取りが行われているらしいことを想像するしかなかった。
 しばらく光とティナの呪文の応酬が続いていたが、とうとうティナが音をあげた。
「これだから人間の魔法士って厄介なのよね……もー、めんどくさい!」
 トン、とティナが片足を鳴らした。すうっと、周囲の全ての音と光が消える。幻が消えるようにあっけなかった。
 そこには何事もなかったように、ただ昼下がりの雑貨屋、いつもの店内だ。
「な、なんだったんですか……」
「さーあ? 本人に聞いてみれば?」
 ぱちんとティナが指を鳴らすと、店内に紫色の光の魔方陣が現れた。その光に包まれて姿をあらわしたのは、黒を基調にしたローブをまとった男だった。外側にはねた黒髪と若草色の瞳、端正な顔立ちは若々しいが、30代そこそこには見える。その男が持つ細身の銀の杖が職業を語っていた。驚愕の表情を隠しきれてない様子で、周囲を見回した後、ティナに視線を向けて、とってつけたように微笑んだ。
「初めてお目にかかります、ティナ・ライヴァート殿」
「ふーん、私のこと知っててやったんだ?」
「というよりも、隠そうとなさってなかったでしょう」
「途中から面倒くさくなっちゃってねー。本当、あんな複雑な魔法久しぶりに見たよ」
「お褒めいただいて光栄。ちょっと力試しをしてみたかっただけでね。大目に見ていただけると助かりますよ。俺はただリームを説得しに来ただけなんですから」
「――わ、わたし!?」
 すっかりティナ関連の来客だとばかり思って状況を眺めていたリームは、思わず叫んでしまった。男性そんなリームを優しげな笑顔で見つめる。
「そうだぞ、リーム。意地張ってないで、母親に会いに行ってやるんだ。心配してるだろう」
「わ、私に母親なんていないし、いらない!」
「あー、それ、フローラが聞いたら泣くな。間違いなく号泣だ」
 何故か男性どこか楽しげだった。ティナに視線を移して言う。
「ティナ殿も思いませんか。養子になるとしてもならないとしても、一度母親に会って、言いたいことがあるなら本人に直接言うべきだってね」
「思わないわけでもないけど、私の店に魔法をふっかけてくるよーな人の言う事聞きたくないわね」
 剣呑な視線のティナに、男は肩をすくめた。
「あなたのような方の側にリームを置いておきたくない気持ちも分かってくださいよ。あなたが何者であるか知ってる人間なら、多かれ少なかれそう思うと思いますよ」
「……ほんとに知ってるの? 知っててその口のきき方ってちょっと神経疑うわ」
「はっはっは、それはお褒めの言葉ですか?」
 陽気に笑う男性に、ティナも毒気を抜かれたようだ。カウンターの椅子に腰掛けて、リームに問う。
「で、どーするの?」
「どうするも何も……貴族のとこなんて行きたくないし、母親だなんて言う人に会いたくもない」
「……そう」
 ティナは何か言いたげな沈黙を落とすも、魔法士の男に視線を戻した。
「まぁ、そういうことだから。今回は見逃してあげるけど、次回はないからね。さようなら」
 ひらひらと手を振るティナに、男は余裕の表情でうなずいた。
「仕方ありませんね。切り札にご登場願うとしましょう」
 男性は店の窓をふり返り、合図を送った。キィ、と店の入り口の戸が開く。
 入ってきたのは、銀糸の刺繍が入った紺のドレスに紫のショールを羽織った女性だった。波打つ艶やかな黒髪は銀の髪飾りで留められて、紫の瞳は深く落ち着いた光をたたえていた。
 ガタンっと椅子を蹴ってティナが立ち上がる。その表情は、驚きよりも困惑が強い。
「ファラさん!! なんで……!?」
「久しぶり、というほどでもないかしら。ティナちゃん。3ヶ月ぶりぐらいね」
 ファラと呼ばれた女性は、深く柔らかい声と優雅な口調に似合わぬいたずらっぽい微笑みを浮かべ、視線で魔法士の男性を示した。
「ラングリーは、宮廷魔法士なの。さっきの魔法は見事だったでしょう。ごめんなさい、私も許可してしまったのよ。ティナちゃんも良い勉強になるかと思っ て」
「宮廷魔法士……なるほどね!」
 ティナの視線に、大仰なお辞儀で答えるラングリー。小憎らしい笑顔は、どこか愛嬌があった。
 ファラは、状況が把握できず傍観しているリームに目の高さを合わせて語りかけた。その口調はどこまでも優しい。
「初めまして。わたくしはファラミアル・サティアス。あなたがリームね」
「はい……」
「ごめんなさい。あなたの親があなたを手放さざるを得なかったのは、わたくしのせいでもあるの」
「!?」
「でも、あなたの親はあなたの誕生をとても喜んでいたのよ。神殿に受け渡した後も、毎日のように魔法で様子を見ていたの。そうよね、ラングリー?」
「おっしゃるとおりです」
「リーム、あなたに寂しい思いをさせた責任は、確かに親にあるのかもしれません。恨まないでというのは無理な話でしょう。でも、逃げないでほしい。背中を向けずに、ちゃんとこれまでどんなに辛かったか、寂しかったか、伝えてほしいのです」
「…………」
 リームは何も答えなかった。いや、答えられなかった。そんなのしらないと叫びたい気持ちもあったが、ファラにはそう言わせない何かがあった。それでも、自分を捨てた親に会うのは、こわかった。相手が何を言うのか、自分が何を言ってしまうのか、こわかった。
 ファラは立ち上がって、横で見守っていたティナに言った。
「少しリームを借りてもよろしいかしら? 一晩でいいのよ。この子の母親がいるのはストゥルベル領だから、ティナちゃんに送ってもらうまでもなくわたくしの翼で十分」
「それは本人しだいだけど……なんでファラさん自ら?」
「ストゥルベル家はエイゼルの叔父にあたる家なのよ。つまり、リームの母親はわたくしの義理の従姉妹です」
「うあ、そんな家系に生まれちゃったわけね……」
「な、なんなんですか、ティナ、その哀れみの目はっ!?」
 勝手に話を進めていくティナに、リームがくってかかる。というか、ティナが貴族と知り合いだったなんて初めて知ったし……しかも、どうやら自分の遠縁の親戚らしいではないか。天涯孤独の捨て子として生きてきたリームは、何故かちょっとドキドキしながらちらっとファラを見上げた。そんなリームの頭をファラは優しく撫でる。
「大丈夫よ、緊張してしまうのは当たり前でしょうね。フローラも急に会えるなんて知ったら、きっと緊張で取り乱して泣き出してしまうでしょう」
「まったくもっておっしゃるとおりでしょうねぇ」
「ラングリー、先に行って知らせておいたほうがいいのではないかしら? わたくしたちはゆっくり行きますから」
「では、仰せのままに。リーム、またあとでな!」
 ラングリーが呪文を唱えて杖をふると、紫色の光がはじけて、そして消えた。ラングリーの姿とともに。
「すごい……」
 リームは呟く。魔法についての詳しい知識はなかったが、移転の魔法がとてつもなく難しいということは知っていた。ピノ・ドミア神殿付きの魔法士でも、長い儀式と大きく複雑な魔方陣を必要としたのだ。それを杖の一振りでこなしてしまうとは。
 宮廷魔法士。『青』と並んで魔法士のエリートと称される役職だ。世界を旅してまわることの多い『青』とは逆に、宮廷の執務室で研究にこもることが多いと言われている。
 なので『青』に比べて地味な印象をいだいていたのだが……宮廷魔法士も格好いいかもなぁ、と、リームは思うのであった。
「さあ、リーム。行ってくれますね?」
「えっ!? え、いや、その……」
 突然おとずれた決断の時に、さらに思わぬ方向から追い討ちがかかった。
「んー、リーム、行くだけ行ったら? ファラさんに逆らうのは得策じゃない……ていうか、無理だと思う、普通に」
「ティナまで!? そんな、私……私、無理だよ……」
「もう、そんな泣きそうな顔しないの! 私も一緒に行ってあげるから! ……ちなみにリーム、高い場所って平気?」
「え……? 別に嫌いじゃないけど。なんで……?」
 話の行方が見えないのはリームだけらしい。
 ティナとファラはお互い視線を交わして、にっこりとうなずきあった。


(5)夜空を飛ぶ

 空は東の空から青紫と濃紺に染め上げられていき、わずかに西のかなたに橙色がほっそりと残るばかりとなった。
 街の家々は夕飯時だろう。通りを歩く人の姿は少なく、ただ食堂兼酒場は活気づいている。主要となる大きな通りには治安部隊が点々と魔法の明かりを点けていた。
「わざわざ今から行かなくてもいいと思うんですけど……」
 不満げに呟くリーム。ファラとティナの3人で歩いているのだが、貴族の奥方と、身の回りを世話をする少女×2にしか見えないだろう。この街で貴族を見か けることがないわけではないが、日も暮れるというのに武装した従者が1人もいないというのは珍しいかもしれない。
「こういうのは思い立ったが吉日なのよ」
「そうですね。残念ながらわたくしも日々の勤めがある身ですから、付き添える時間が限られてきますし」
 だったら私は別に母親(らしき人)になんて会わなくってもちっとも問題ないんだけどー。
 とは、この貴族の奥方には、さすがに言う気が起きないリームであった。
 ピノ・ドミア神殿に来る貴族は何十人も見たことがあるが、ファラほど纏う空気が違う貴族は滅多にいなかった。華やかでいて重厚な、つい目を惹かれてしま う、それでいて畏まってしまうような存在だ。
 本当にこんな人の親戚が自分の親なのだろうか……あれ? でも義理のってことは血はつながってないんだな。
 そんなことを考えていると、ティナとファラが立ち止まった。魔法の明かりの並ぶ大きな通りを過ぎ、民家の並ぶ地域に差し掛かったところだ。そろそろランプが欲しい薄闇の中、夕飯をかこむ家族の楽しげな声がわずかに聞こえてくる。
「このあたりでよろしいのかしら?」
「ま、うちの店から離れてくだされば、どこでもいいんですけどね。えーと、上に行ったほうが?」
「えぇ、もちろん。広さが足りませんから。お願いできますかしら」
「お安い御用ですよ」
 相変わらずリームから見ればワケのわからないやり取りをした後、ティナは呪文を唱えだした。つっと地面に光の輪が描かれ、リームたち3人を囲む魔方陣を描き出す。
 その魔方陣は最初は分からないほどゆっくりと、しだいに速度を増して上空に浮かび上がった。上に乗る3人ごと宙に浮き上がる形となり、バランスを崩しかけたのはリームだけだった。
 ティナにしがみつきながら下を見下ろすと、並ぶ民家がぐんぐんと小さくなっていく。通りに点々とならぶ魔法の明かりと、家々のランプの明かりが集まって、ひとつの光の絵を成しているようだ。
「すごーい……きれい!」
「こんなので喜ぶのはまだ早いわよぉ、リーム。これからファラさんの背に乗って優雅な夜空の旅なんだから」
「せにのって?」
 何かを聞き間違えたのだと、リームは思った。
 ティナは意味ありげな笑顔でファラに視線を送り、ファラはにっこり頷いて魔方陣から1歩踏み出した。
 あっとリームが息をのむより早く。
 街へと落下するファラは漆黒の闇に包まれた。
 東空の果てから広がる夜闇より、なお濃い闇。
 闇は刹那に大きく膨れあがり、リームは魔方陣の下で巨大な何かがバサリと羽ばたくのを聞いた。

          *      *      *         

 それは遠く地上から見上げるよりもずっと大きく、そしてしなやかだった。
 リームの手のひらほどもある漆黒の鱗は、わずかな残陽に輝いてきらきらと宝石のようだ。
 その宝石が敷き詰められた場所に、リームはいた。
「な、なななな、なにが、どーゆうっっっっ!?!?」
「あっはっは! 落ち着いてよ、リーム!」
 腹の底から笑うティナにばんばんと背中を叩かれても、リームは一向に落ち着けなかった。
 目の前には黒い宝石のような鱗が覆った背。ほっそりとした首に続き、体に対して小さな頭には2本の角が生えている。左右には大きな皮膜状の翼。これだけ 大きなものが側で動いているのに突風を感じないのは、結界のおかげなのだろう。竜は翼ではなく魔法で飛ぶという。
 ――そう、竜、なのだ。
 リームはクロムベルク王国を守護する黒竜の背に乗っていた。
「ファラさんの名前って、国民にあまり知られてないんですね」
『竜にとって名前は神聖なものですから。あまり広まらないようにしているのですよ』
 音ならざる音が声となって耳に届く。音でないことは確かなのに、人間はそれを音として捉え、声として認識した。ファラが人間の姿をしている時と全く同じ、柔らかく暖かい声だ。
「……お、王妃様……?」
『なんですか? リーム』
 呆然と呟いた言葉にさも当然のように応えられて、リームはふうっと気が遠くなるような気がした。
 夢だとしても突飛すぎる。何故、飛ぶ姿を見上げて祈っていただけの一般国民たる自分が、畏れ多くも王妃様の背に乗っているのだろうか。溶ける鍋よりも飛 び跳ねる皿よりもずっとアリエナイ。
『……大丈夫ですか、リーム。飛ぶ速度が速すぎますか? 結界を張っているので大丈夫なはずですけれども』
「ほら、リーム、石像みたく固まってないで、まわりを見てごらんよ。昼は昼できれいだけど、夜の風景も良いもんよ」
 反応のないリームにファラとティナが声をかける。しかし、その声も耳に入らないようだった。
「……なんで、どうして……こんなことに。やっぱりお祈りせずに神殿を抜け出したから罰があたったのかなぁ? あぁ、光のヴォルティーン様、運命のメビウ ス様、時空のクロノス様、大樹のフィーグ・ラルト様、どうかお許しください。そしてか弱き人の子に祝福を……」
 目をつぶって祈りの言葉を呟くリームには、その祈りの言葉を聞いてなんとも微妙な表情をするティナは目に入っていなかった。
「あー、ファラさん、ストゥルベル領ってどこにあるんだっけ?」
『北西の方角です。領都のストゥルベルは港町なのですよ。そうですね、大体2刻もあれば到着するでしょう』
「ふーん。そこの領主の娘なわけね、リームは。さらに、母親がファラさんの義理の従姉妹……ってことは、エイゼル様の従姉妹?」
『えぇ、先王の弟君がリームの祖父にあたるのです。弟君には娘しかおりませんから、今のところリームがストゥルベル家の跡継ぎということになります』
「うーん、聞いてるだけでややこしそうな家柄ね」
 聡明なリームは聞こえてくる会話を聞こえなかったことにした。自分の理解を超えているし、理解したくもない。
 意を決してピノ・ドミア神殿から逃げ出したのに、その意味が全くなくなってしまった。
 このまま屋敷に連れて行かれたら、なし崩しに貴族の娘として籠の中に囚われてしまうのではないか。
 リームはティナの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「ティナ……私は貴族の子になるなんてイヤ。これからも雑貨屋で働きたいし、お金を貯めたら魔法学校にも行きたいです。もし、屋敷に閉じ込められそうになったら、連れて逃げてくれますか?」
 ティナは笑ってリームの頭を撫でた。
「そんな心配してたの? だいじょーぶよ。会うだけだって、ファラさんも言っていたでしょう。万が一、リームの意に反して手元に置こうとしたとしても、私 が絶対連れ出してあげるから」
『ふふふ、ティナちゃんの保障があれば、これ以上心強いことはありませんね。リームは良いお店を選んだものです』
 王妃様と旧知の仲らしいこの不思議な雑貨屋の店主は、一体何者なのか。想像もできないけれど、リームは店主に頼るしかないのだった。
 

(6)親らしき人

 雲の合間からちらちらと星がきらめく夜。
 港町ストゥルベルの高台にある領主の城に、黒く巨大な影が舞い降りた。
 魔法の明かりでそれを向かえる魔法士たち。一列に並ぶ衛兵たち。中庭は物々しい雰囲気に包まれている。
 ティナとリームがその背から降りたのを確認すると、黒き竜は闇に包まれてその形を変えた。
「王妃ファラミアル殿下とそのご友人、ご到着ーー!!」
 衛兵達の敬礼に、優雅にドレスの裾を払いながらファラミアルは微笑みで応えた。

「……やっぱり帰っちゃダメ?」
「何言ってんのよ~。ここまで来たんだから、顔ぐらい見ていきなよ」
 ふかふかの絨毯が敷かれた石造りの廊下を、女中に案内されながら歩いていく三人。
 リームにしがみつかれっぱなしのティナは相変わらずの笑顔だ。やたら仰々しい出迎えにも、城の重厚な装飾にも何の驚きも受けないようで。
「ティナって……宮廷魔法士だったんですか?」
「え、何で???」
 そのリームの質問にこそ、一番驚いたようだった。
 お召し物をご用意いたしました、と案内されたのは、衣裳部屋だった。つやつやと光る上質の布でできたドレスは、どれも繊細な刺繍のレースがふんだんにあしらわれており、街の店では見たこともない。しかし、リームは頑なに着替えを拒んだ。それが自分に似合うとは到底思えなかったし、なんだかドレスを着てしまえば貴族の世界に入ってしまうような気がしてイヤだったのだ。
 侍女にしか見えない姿の自分を見れば、母親だと自称する人も子供にするなんて言わないに違いない。
 そう思いながら……胸の奥は何故か重かった。

「わたくしは、別の部屋に居りますわ。リーム、緊張しなくていいのよ。いつも通りのあなたでいてちょうだい」
 侍女が左右に控えた大きな扉の前。ファラは優しくリームに声をかけるが、リームは緊張の余り言葉が出ず、ただこくこくと頷くしかなかった。
「あー、私も別室にいたほうがいいのかなー?」
「ダメ! それはダメ!!」
 この上ティナにまで離れられたら不安すぎる。リームは必死の思いでティナの服を掴んだ。もうティナの服のすそは握られっぱなしでしわくちゃだ。
「わーかった、わかったから。ほら、さっさと行きましょ」
「ちょ、ちょっと待ってください。まだ心の準備が……」
「んなもん、いつまでたってもできないものでしょ。さ、お願い」
 ティナが侍女に合図すると、目の前の扉がゆっくりと開かれた。
 リームは、どきどきと鳴る自分の心臓の音でまわりの音がよく聞こえない。
 ――部屋の中は白を基調とした家具が並び、豪華な中にもスッキリとした調和のある部屋だった。
 花が飾られたテーブルセットと柔らかそうなソファは無人。奥に続くもうひとつの部屋に、なんだか人だかりが見えた。
「ほら、行くよ」
「うぅ……」
 ティナに半ば引きずられるように部屋へ入るリーム。奥の部屋には、何人もの侍女に囲まれて、床にうずくまっている女性がいた。背を向けているので顔は見えないが、流れるような金髪がごく淡い桃色のドレスに映える。
「フローラ様、リーム様がおみえになりました」
「あ……」
 侍女の声に、女性は驚いたように息をのんで、そして――振り返った。
 大きく見開かれた翡翠の瞳、陶器のような白い肌は頬にほのかな赤みがさして、人形のように愛らしい。まさに貴族のお姫様というに相応しいひとだった。
 このひとが……母親? まさか、何かの間違いだ。母親どころか、結婚しているようにすら見えない。
 リームと女性が見つめあったのは、ほんの一瞬だった。
 振り返った女性は、突然、その大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼした。
「ああ……リーム、私……」
 ひっくひっくと泣きじゃくる女性。周囲の侍女は慣れた様子でハンカチを何枚も準備している。
 ――ええと、どうすればいいの? リームはティナを見上げるが、ティナは意味ありげな視線を返してくるだけ。
 もう一度、女性に視線を戻す。めそめそと泣き続けるお姫様。言わなきゃ。私は貴族の子になるつもりはないって。
 口を開いて、息を吸って……でも声が出てこなくて。
 リームは――逃げ出した。
「ちょっと、リーム!?」
 ティナの声を振り払うように、驚く侍女を押しのけて、部屋の外へそして城の外へと向かって駆けてゆく。
 このままもう一度逃げ出そう。私は誰の子にもならない。貴族なんて二度と関わらない。
 女性の泣き顔がよぎる。あの女性は私に何を言いたかったのだろう。泣き顔はとてもつらそうで、でもどこか嬉しそうだった。
 しかし無心に走るリームに、複雑な城の出口を見つけられるはずがなく。
「……あれ?」
 いつのまにか自分がどこにいるのか、分からなくなってしまったのだった。

          *      *      *         

 雲はだんだんと晴れ、細い月が夜闇をほのかに照らしている。
 使用人たちの目をかいくぐり、たどりついたバルコニーから空を見上げて、リームは何度めかわからない溜息をついた。
 ティナと一緒に店に帰らなくちゃ。でも、ティナはまだあの部屋にいるのだろうか。もう戻るのは……あの女性に会うのはイヤだった。
「こんなところで何をやっているんだ?」
 急に後ろから声をかけられて、リームはとっさに逃げ出そうと身構えつつ振り返る。
 そこに立っていたは黒を基調にしたローブを着た男――宮廷魔法士ラングリーだった。飄々とした笑顔に、リームは緊張を解いた。
「私、もう帰るんです。親だっていう貴族のひとにはもう会ったし。ティナが今どこにいるか知りませんか?」
「さーあ? それにしても、フローラが泣きっぱなしだったぞ。まぁどちらにせよ泣くだろうことは予想してたけどな。あいつは涙姫って呼ばれるぐらい泣き虫だからな」
「……関係ないです」
 フローラというのがあの女性のことだというのは分かったが、それを自分に言われても困る、とリームは思った。ラングリーはそんなリームを見て苦笑した。
「あれが母親だとは、ちょっと信じられないだろうな。でも本当なんだぞ? 目元なんてよく似てるだろう」
「似てないです!!」
「はっはっは、まぁそう言うな。フローラだって無理やりお前を貴族にしようなんて思っちゃいないんだ。ただ、一度本人に確かめて、自分を納得させたかったんだろうよ」
「じゃあ、伝えといてください。私は貴族にはなりませんって」
「いやいや、ここまで来たんだから自分で言うんだな。せっかく俺が王妃様に頼んでご足労を願ったというのに」
「大きなお世話、とんだ迷惑です!」
「来てしまったもんは仕方ないだろう? ちょっと見てな」
 ラングリーは流れるように呪文をつむぎだした。ついついリームは見惚れてしまう。ラングリーの差し出した右手の上に、水面のようなゆらめく映像が現れる。花が飾られたテーブルセットは、あの部屋のものだ。
 侍女に囲まれてソファーに座るフローラ姫と、向かいの席に座るティナが見える。確かに比べてみるとフローラ姫のほうが年上に見えるが、10も離れているようには見えない。本当に自分の母親なのか、ちっとも信じられないのも当然に思える。フローラ姫は相変わらずぐずぐずと半分泣いていた。
『でも、リームは私のことが嫌いなようだから……』
『いやあ、嫌いというよりもどうしたら良いか分からないだけだと思いますよ』
『でもでもっ、きっとがっかりしたわ。自分の母親がこんな頼りない泣き虫だなんて……』
 と、言いつつも再び本格的に泣き出すフローラ。侍女がさっとハンカチを取り出す。ティナは肩をすくめた。
『まずは、しっかり自分の考えを伝えることですね。フローラさんは、どうしたいんですか?』
『私は……ただ一緒にお茶を飲みながらお菓子を食べたり、中庭を散歩したり、あとラングリーに花畑に連れて行ってもらったり、そういうことをしたくて…… あと、謝りたくて』
 翡翠色の瞳に涙をいっぱいにためて、少女のようなお姫様は、母親の眼差しで言った。
『寂しい思いをさせてごめんなさいって。もう、お母さんだなんて呼んでもらおうとは、思ってないの。ただ、3人で仲良く一緒にいたいから』
『なるほどね……さぁ、リームはどう思う?』
 ティナの視線が、映像越しにリームと合った。ゆれる魔法の水面の向こう、フローラや侍女がきょとんとする中、ティナは何気なく腕をかるく振った。
 紫色の光がバルコニーを包む。ぐらりと浮遊するような感覚、ゆがみ、薄れる周囲の風景。次の瞬間には、リームはあの部屋に立っていた。
「リーム! ラングリー!」
 フローラが声をあげる。一緒についてきてしまったらしい宮廷魔法士は、この歩く人外魔境がと笑顔でティナに悪態をついた。
「どこらへんから聞いてたの? リーム。『頼りない泣き虫なんて』ぐらいから?」
 面白がるように聞くティナに、リームは淡々と応えた。
「……いえ、『私のことが嫌いなようだから』です」
「あああああの私はその……ええと……ねぇどうしましょうラングリー?」
 慌てふためく様子に親近感を感じてしまったのは事実で。
 リームは緊張にふるえる声を振り絞って言った。
「私は……私には、親はいません。孤児として生きてきて、これからも一人で生きていきます。でも」
 ぽろぽろと涙を流しながら、じっと自分を見る若い母親を、リームも目をそらさずに見つめた。
「……お菓子を一緒に食べるぐらいなら……たまになら、ここに来てもいいです」
「あ、ありがとう……リーム」
 ひっくひっくとしゃくりをあげて泣くフローラ。照れくさくなってリームはティナに視線を移した。ティナは満面の笑みでうんうんと頷き、ふとラングリーに 目を向けた。
「で。何か言うことはないの? ラングリーさん」
「ん? 俺か? いや別に……良かったなぁ、丸く収まって」
 すっとティナの目が細まる。なんだか意地の悪い微笑みだなあと、リームは思った。
「リームが孤児院に送られた理由、聞いたのよ。フローラさんが他国から婿を迎えてこの領地に引っ越す前。クロムベルク城にいたころに、すでに生まれていた子だからってね」
 話の見えないリーム、気まずそうにする侍女たち、そしてフローラはまだ鼻をすすりつつも不思議そうな顔でラングリーに言った。
「あら、ラングリー、まだリームに話してなかったの? あなた先にリームに会いに行ったものだから、てっきりもう話しているのかと」
「いやほら、言い出しにくいだろう、俺の立場的にはな。ただでさえ思春期の娘は難しいって話だしなあ」
 ラングリーは頭をかく。リームは、訳ありの子供しかいないピノ・ドミア神殿という場所にいたせいで、大人の事情はなんとなく断片的に理解できた。おぼろげに話が見えてきて……しかし信じられない気持ちが強くて。
 そんなリームの心中は察せられることなく、フローラは恋する少女の微笑みで言った。
「リーム。ラングリーは、あなたのお父さんなの」
「……そういうことだ、リーム。お前がフローラと仲直りして、お父さんは嬉しいぞ。はっはっは」
 ラングリーの開き直った笑顔に、リームは驚きで頭の中が真っ白になりながらも、フローラと対面したときには吹っ飛んでいた怒りがふつふつとわいてくるのを感じた。
 雑貨屋に来たときも、バルコニーで会った時も、自分の娘だと分かっていたのだこの男は。ここまで黙っておいて、しかも最後まで隠し通そうとして、その一方で自分には母親にちゃんと伝えろとか言ってきて!
 なんだかとってもバカにされている気がしてきた。いや、実際バカにされてるに違いないと確信した。
「あんたなんて……父親とは認めない! のぞき魔! 無責任男!」
「ほらみろ、フローラ、嫌われたじゃないか」
「あらまあ、リーム……これって反抗期なのかしら」
 何故かフローラはちょっと嬉しそうで、そのやり取りがまたリームの気に障った。まるで子供を見る夫婦のようではないか。なんだかその場に居るのがイヤになって、リームはティナに駆け寄った。
「ティナ、帰りましょう。もう用事は済みましたよね」
「えぇ? いいの?」
 くすくすと笑うティナは、事の成り行きを楽しんでいるようだ。全く人事だと思って、と、リームは思いつつも、今はこの場から去ることが優先だった。
「いいんです。どうしてもって言うならまた来ますから。宮廷魔法士のオジサンのいないときに!」
「オジサンって、リーム、お前な……」
「あーあーあー、ほらティナ、もうさっきの紫色の光のやつでいいですから、帰りましょ! 約束ですよね!」
「まー、そう言われちゃあ仕方ないわね……じゃ、王妃様によろしく伝えてちょうだい」
 ティナが手を振ると、ティナとリームのまわりを紫色の光が包み込んだ。薄れる部屋の景色の中、寄り添うフローラとラングリーの姿がリームの記憶に深く刻み込まれた。あれが、両親。王家の血を引く姫と、宮廷魔法士。まるで御伽噺だ。自分には……関係のないこと。ただ、泣き虫なフローラ姫が一緒にお茶を飲みたいって言うから、それぐらいはしてあげてもいいかなって、そう思うだけで。
 ――次の瞬間には、もう見慣れた雑貨屋の店内だった。
 竜の背に乗って、お城へ行って。夢だったらいいなって、思わないでもないリームだったが。
「本当のことなんだよ、ねぇ」
 つぶやきに予期せずティナが応じる。
「本当のことだけど、別に問題のないことでしょう。リームは、リームの好きに生きればいいのよ」
「そう、だよね……うん。明日もお店がんばりましょうね、ティナ」
 そう、何も変わらない。これまで通り、ちょっと奇妙な雑貨屋で働いていけばいいだけ。リームとティナは笑顔を交わして部屋へあがっていった。
 

(7)不思議な日々は続く

「ねぇ、一体どうなっているの? このホウキ」
 くねくねと踊るホウキをカウンターに置いて、三角巾にエプロン姿の中年女性は言った。
「ものは試しと買ってみたけど、やっぱり噂どおりねぇ。魔法なのかしら?」
「はぁ、申し訳ないです。代金はお返ししますので……」
 店主ティナは、もはや慣れきった謝罪と返答をするが、中年女性は返金を求めているわけではないらしく。
「いえね、私はこれがどうなっているか知りたくて」
「さあ……私にも分からないです」
「あなたが店主なのでしょう?」
「ええ、私も困ってます」
「それは大変ね……」
 結局その中年女性は帰っていったが、くねくね踊るホウキは珍しいからと持って帰っていった。
「奇特な人もいるものですね、ティナ」
「うーん……そうね」
 どうもティナは不良品(?)を持っていかれたことに不満なようだった。リームとしては逆に奇妙な道具として売り物にしてしまえばいいのではないかと思う のだが、ティナは普通の雑貨屋をやりたいと言い張るのだ。
『はっはっは、この雑貨屋も先が思いやられるなぁ』
 急に聞こえてきたのは、陽気な男性の声。リームはとたんに眉をしかめた。カウンターの裏の窓辺には、地味な小鳥がとまっている。その鳥から声は聞こえるようだ。
「ティナー、のぞき魔のオジサンが用事ですってー」
『オジサンはやめるんだ、リーム……お父さんと呼べとは言わないが、せめてお兄さんと』
「年齢を考えて言ってよね、ロリコンおやじ」
『どこでそんな言葉覚えたんだ? フローラはあれでも29なんだぞ、俺と5つしか違わん』
「うっそ、フローラ様、そんな年!?」
 やっと20代にさしかかったようにしか見えない母親の年に驚愕するリーム。そんな親子のやり取りをティナは微笑ましく見守っていた。
『フローラは名前で呼ぶのか、そうか……まぁいい。今日は手紙を届けに来ただけだからな。お茶会の招待状だそうだ。ちゃんと行ってやれよ』
 小鳥は光の球へと姿を変え、一通の手紙を残して消えていった。
 家紋の付いた封筒の差出人には少し丸みのある丁寧な字でフローラの名前が書いてあった。そして表書きにはリーム・キティーア・ストゥルベル殿と書いてあ る。
「そんな名前だったのね、リーム」
 手紙を覗き込むティナに、リームは少し目を伏せた。
「……知らない。私はただのリームだもん」
 突き放したように言いつつ、胸はじんわり温かい。照れくさいけど、いやな気分とは違う。
 こういうのも悪くないか。
 リームは抱いた暖かな気持ちを否定せず、手紙の封を開けたのだった。
 

― 続 ―
 

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2010/04/13 (Tue) 00:32

(1)不思議な雑貨屋

(意外と普通なんだ……)
 その雑貨屋を見つけたとき、リームはそう思った。
 王都から馬車で2日。それほど有名ではないが、交易の中継地点として程よく栄えた街、レンラーム。
 その街の中心を走る石畳の道、両脇に並ぶ商店がまばらになってきた所にそれは在った。
 木の戸がついた窓は開けられていて、店内のテーブルに商品が並んでいるのが見える。
 店内が明るいのは窓から入る光だけではなく、おそらく魔法具の明かりがあるのだろう。高級品の店でもないのに、贅沢なことだ。
 その窓の隣、店の入口の上には看板が掛けられていた。青地に黄色の飾り文字で店名が書かれてある。
 『雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ』と。

          *      *      *         

「あんまり……というよりも、全っ然おすすめできないんだけどね、お嬢ちゃん」
 カウンターを挟んでむかいに座る恰幅のいい中年女性は、リームが手渡した紹介状と働き手募集の紙束を見比べながら言った。
「雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ、手伝い募集。リゼラー通りの端にある店さ。お嬢ちゃんみたいな年齢でできる仕事っていったら、これぐらいしかないねぇ」
 しかも、と、中年女性はちらと紙束から視線をあげてリームを見た。リームは思わず目をそらす。
 肩までの黒髪に利発そうな翠緑の瞳。仕立ては悪くないが質素で地味な灰色の服。肩にかけられるよう紐をつけた荷物袋は、子供の体には大きめで……しかし、風従者のように旅慣れた格好ではない。家出をしてきたことがバレバレなのは、リームも自覚があった。
 そもそも、頼みの綱である紹介状そのものが、見るものが見れば明らかなものなのだから。
 それでも商業組合の受付である中年女性は、何か言いかけた口を一度閉じ、大きく息を吐き出しながら肩をすくめた。
「まあね、いろいろあるのは分かるよ。小さいのに苦労することだね……おっと、こんな言葉は聞き飽きたかな。でも、お嬢ちゃんは十分恵まれてるんだよ」
「すいません、それも聞き飽きてます」
 大人びた口調を装いながらきっぱりと言うリームに、だろうねぇと頷きながら応えて、中年女性はリームの紹介状とは別の紙を差し出した。
「とりあえずはやってみるといいさ。これを店に持っていきな。若い女主人だから気兼ねなく話せるだろうよ。ただひとつ……いや、やっぱりやめておこうか……」
「な、なんなんですか? 気になります。そこまで言ったなら話してくださいよっ」
 中年女性は逡巡するように唸って視線をくるりとまわした後、言葉を選びながら言った。
「私も実際に見たわけじゃなく、噂だけなんだけどね。……いろいろとヘンな店なんだよ、ここは」
「変って……どんなふうに?」
「買った商品がいつのまにか融けた、とか、2階から怪しい閃光や爆発音が聞こえる、とか。店主が魔法士だろうってのは想像がつくんだけど、それにしたって、おかしなことが多すぎるのさ」
 眉をひそめて半信半疑の視線を向けるリームに、中年女性は責任逃れの愛想笑いを浮かべた。
「まぁ、王都からここまで来た気概があれば大丈夫だろうよ。お嬢ちゃんに王妃様と神々の加護があらんことを!」

          *      *      *         

 春らしい暖かな日差し、薄い雲の浮かぶ空。雲よりも速く、何かが太陽の前を横切った。
 この国の民はそんな時、笑顔で空を見上げる。
 青い空を横切る黒い影。漆黒の鱗を春の日差しにきらめかせた、竜。
 クロムベルク王国を『黒竜に守護された国』と言わしめるその存在は、18年前にこの国の王子と結ばれた現王妃の真の姿だ。
 国民は親愛の眼差しで王国の守護者を見上げ、ときに祈る。
「雑貨屋で怪しい魔法実験の材料にされませんように……雇い主が良い人でありますように」
 そんな願いを王妃様が叶えてくれるとは到底思えなくても、とりあえず祈ってしまうのは幼いころから染み付いた習慣なのか。
 組合でもらった紹介状を握り締め、全財産である荷物ひとつを抱えて向かうは、不思議な――むしろ怪しい雑貨屋。
 通りに立ち並ぶ商店でその雑貨屋の話を聞いてみたが、どれもこれも組合での話を裏付けるものばかりだった。
 火にかけたら燃えてしまう鉄鍋が存在するなど信じられないが、これだけ噂があると完全な作り話ではないような気がしてきてしまう。
 そんな話を聞いてきたものだから、もっといかにも怪しげな、腰の曲がった魔法オババが紫色の液体を混ぜているような店を想像していたのだ。
 いざ来てみれば、他の店と変わらない外観で。
 開いた窓から見える店内も、そこに並ぶ品々も、外から見る限りではいたって普通だ。品揃えが幅広すぎて少しまとまりがない印象があるくらいだろうか。
 そもそも、主要な通りに魔法灯が常備されてるくらい大きなレンラームの街であれば、専門の品を売る店がほとんどであり、田舎町で頼りにされるような雑貨屋は本来必要とされてないように思える。まずそこの部分からしてちょっとヘンな店なのだ。
 でも今はその店を頼るしかない。店主が魔法士であるのも、本当なら幸運なことだ。ちゃんとしたまともな魔法士であればだけれど。
 もう一度看板の名前と紹介状に書いてある店の名前を確かめて、リームは祈りの言葉を呟くと、意を決して店の中へ入っていった。

 狭い店内に窓は1つしかなかったが、魔法の明かりがいくつか天井付近に浮いているので十分明るかった。
 中央に大きなテーブルがひとつと、壁にそって棚や台がいくつかあり、そのテーブルにも棚にも台にも所狭しと商品が並んでいる。 そして一番奥にカウンター があるのだが、今は無人だ。カウンターの向こうに2階への階段と裏口の扉が見えるので、そのどちらかに店主はいるのだろうか。商品を並べっぱなしで誰もいないとは無用心なことだが、きっと店主は魔法士なのだから魔法でなんらかの仕掛けを施してあるのだろう。
「すみませーん……」
 小声で呟いてみても聞こえるはずはない。そろそろと店内を奥へすすむリーム。横目で商品を見るが、見た目に融けそうとか爆発しそうとか、そういう印象は 受けない、いたって普通の商品だ。
 ただ本当に雑貨屋というより何でも屋というような、寄せ集めの品揃えではある。鍋やまな板、包丁から調味料、小物入れ、袋、ほうき。生活必需品だけでなく、アクセサリーや置物、はては鎧や武器まで並んでいた。
 カウンターには、美しい細工の呼び鈴が置いてあった。魔法具だろうか。傍に置いてある紙に『御用の方は鳴らしてください』と書いてある。公用語の他にリームの読めない文字が数種類書いてあり、文字が読めない人のためか、呼び鈴を鳴らす絵まで描いてあった。
 リームはしばらくじっとその呼び鈴を見て、階段の上と裏口、そしてもう一度店内を見回すと、思い切って呼び鈴を手に取り鳴らした。
 チリンチリィーーン
 澄んだ音色が店内に響く。一瞬の間があり、ぱたぱたと2階から足音が聞こえた。予想していたはずなのに心臓がどきんと鳴り、思わず半歩下がってしまう。
「おまたせしましたー! お買い上げでしょうか? それとも何かお探しでしょうかー?」
 営業スマイルで階段を下りてきたのは、話に聞いていた通り若い女性だった。17~8歳ぐらいだろうか、長い金髪を高い位置でひとつに結っている。丸首のシャツと細身のパンツ、薄くてゆったりとしたシルエットの上着。
 もう少し魔法士っぽい格好を予想していたのだが、どこにでもいそうな動きやすい服装だった。そうだ、もしかしたらこの人は手伝いで、店主ではないかもしれない。
「あ、あの、私は客じゃなくて……実は商業組合で」
 バタンッ!!
 話し始めたその時、店の入口の扉が音をたてて開いた。リームが思わず振り向くと、ヒゲ面のオヤジがしかめっ面をしてずかずかと入ってきた。
「おう、この店の主人はどこにいやがる?!」
「この店の主は私ですけれど、どうかしましたか?」
 金髪の女性が答えた。あ、店主だったんだ、と思いつつ、リームはカウンターから後ずさりながら成り行きを見守る。
「どうかしたどころじゃねーんだよ! この壷を見てくんな! 3日前にココで買った壷さ。塩入れにしようと思ってな、入れてみたら、ほらコレだ! 俺の塩は どこへいったんだ!?」
 オヤジが持ってきた片手で持てるほどの小さな壷の中には、水しか入ってなかった。塩辛い水ではなく、真水だとオヤジは言う。
「あー、それ確か水入れって書いて売ってた気がするんですが……」
「壷は壷だろ、どう使おうがこっちの勝手だろーが! 魔法の品ならそう書いておけってんだよ!」
「いやそういうわけでも……いや、ええと、こちらの手違いで、誠に申し訳ございません。なくなった塩の分も含めまして、代金はお返ししますので……」
「当然だな! もう二度とこんな店で買うか!」
 店主が銀貨を渡すと、オヤジは入ってきたのと同じようにバタンッと扉を鳴らして店を出て行った。
 残されたリームと店主の間に、微妙な沈黙が落ちる。
「ご、ごめんなさいね。それで、なんだっけ?」
 いそいそとオヤジの残していった水の壷をカウンターの内側にしまいつつ、店主はリームに話しかけた。
「……えっと、そのー……」
 やっぱりこの店で働くのはやめたほうがいいのかもと、かなりとっても強く思ったリームだったが、ではどうするのか。組合ではこの店ぐらいしか働く場所がないと言っていた。別の街に行こうにも、もう路銀は尽きている。ひとりで生きていこうと決めたのに、ここで終わってしまうのか……。
「私……リームっていいます。組合から仕事の紹介状をもらってきました。ここで働かせてください!」
 一息にそれだけ言うと、リームは店主に紹介状を突き出した。若い店主は納得した表情と思案するような表情おりまぜて紹介状を受け取る。
「あぁ、そういえば随分前に募集出してたのよね。んー、まぁ年齢の指定はつけなかったけど……リームっていうの? あなた、いくつ?」
「12歳です」
 ちょっと1歳サバ読んでみた。どうせ確実な誕生日は分からないのだから、嘘にもならないだろう。
 店主は思案顔のまま頷き、紹介状に目を落とした。
「で、公用語の読み書きはできる、と。……住み込み希望? 家族は?」
「いません。だから働くところを探してるんです」
「ふうん……」
 店主は紹介状から再びリームへと視線を戻す。孤児にしてはリームの身なりは清潔だったし、ひと抱えとはいえ荷物もあった。事故か何かで家族を失ったのだろうか。年齢にしてはしっかりしているし、なにより水の壷のやり取りを見ても出て行かなかったのだ。
 不安げに、しかし真っ直ぐ店主を見つめるリームに、店主はにっこりと笑いかけた。
「いいわよ、雇いましょう。私は店主のティナ・ライヴァート。よろしくね」
 差し出された手を握り、リームの不思議な雑貨屋での生活が始まったのだった。

(2)不思議な店主

「住み込みなら、部屋を用意しなくっちゃね。ちょっと待ってて。店の品物とか、見ててくれて構わないから」
 店主のティナは、そう言い残すと階段を上がっていった。
 リームはまだ少し緊張した面持ちで品物を眺めはじめる。ほうきがひとつ銅貨3枚。普通の値段だ。キラキラした銀の細工と赤い宝石のようなものがついた髪飾りに金貨50枚と値札がついているのは、普通の値段なのかどうなのか想像もつかない。というか、そんなものが鍋やらほうきやらと一緒に並んでて良いものなのだろうか。
 しばらくすると、2階からガタンッゴトンッと何かを動かす物音が聞こえ始めた。
 ああ、部屋を用意してくれてるんだな~と思っていたのだが、バキバキバキッという破壊音やら、ズシンッという重い音やら、パシュンッ!という破裂音やら、部屋の模様替えにしてはあり得ない物音が聞こえてくるのは何故だろうか。
 リームの脳裏にいっそ今のうちに逃げてしまったほうが身の安全のためではなかろうかという考えがよぎり、幼いながらの決意と覚悟でそれを振り払う。
「おまたせ~、どうぞ、まだ必要最低限のものしかないけど、何か足りないものがあったら気軽に言ってね」
 ティナが笑顔で下りてきた。リームは葛藤を見透かされまいと、ありがとうございますーと乾いた笑顔を浮かべ、案内されるままに2階へと上がっていった。

 雑貨屋の2階には部屋が2つあり、階段を上がって廊下の突き当りが店主のティナの部屋、右の扉がリームの部屋になるらしい。
 リームの部屋には清潔なシーツのかかったベッド、3段の棚とカゴ、小さな書き物机まであった。自分のものを提供してくれたのか、それとも売り物だったのだろうか。急に住み込みが決まったにしては揃いすぎている感じがした。
「あと、私の部屋には立ち入り禁止だからね。まぁ鍵かかってるから入れないと思うけど。用事があったらノックするより、呼び鈴を鳴らして。あれ、魔法具だから、コレとつながってるの」
 ティナが示したのは片耳のイヤリングだった。よく見ると呼び鈴と似たような装飾が施してある。
「店主さんは魔法士なんですか?」
「ティナでいいよ。ま、ちょっと魔法の心得があるのは確かね。……逆に聞くけど、リームって魔法士に追われるおぼえはあるの?」
「えっ!?」
 驚くリームをよそに、ティナは開いている木窓の外に視線を向けた。ヂヂッと何か小さな音が聞こえて、窓の外に手のひらぐらいの大きさの光球が浮かぶ。ティナが窓に近づくと、その光の球はフッと消えてしまった。
「あ、逃げられた。んー、まぁリームの身におぼえがないなら、私の関係者かもしれないし? あんまり気にしなくていーわよ」
「そうですか……」
 身におぼえがないわけでもないリームは、曖昧にうなずくしかなかった。
 魔法士を雇ってまで自分を追うような相手なのだろうか? よく分からない。正直、相手のことを全く知らないままに逃げてきたのだから。
 そんなリームの様子に気づいているのかいないのか、ティナは荷物を置いたら下に来てねと言うと、先に店に下りていった。
 リームは自分に用意された部屋の窓から外を眺める。通りとは逆側の、裏口に面した小さな庭と小道が見える。穏やかな春の街並み――魔法の影は見えないし、あったとしても リームに見るすべはないのだった。

          *      *      *         

「やってほしいのは、とにかく店番ね。値段は商品につけてあるし、適当にオマケしてあげてもいいから。さっきみたいに返品の客が来たら、お金返してあげて。それでも店主を呼べっていうようだったら呼び鈴鳴らしてちょうだい」
「それで、結局さっきの壷って、魔法具だったんですか?」
「うーん、魔法具というか……不良品?」
 不良品で壷に入れた塩が水に変わるのだろうか。
 突っ込んで聞いても理解できる答えは返ってきそうになかったので、リームはあえて聞かないことにした。
「計算はできる? 計算器もここにあるから。お金はここにしまって。他に何か分からないことはある?」
「ええと、触ったら危ないモノとか、ありますか?」
「武器とか刃物とか……あとはないはずよ」
 ないはずって何、はずって!
 不安そうなリームに、ティナは明るい笑顔で力強く言った。
「大丈夫だから!」
 と。

 こうしてティナは2階へ上がり、店にはリームひとりが残された。一体ティナは2階で何をやっているのだろう? 特に上から物音は聞こえない。通りを歩く人の足音、たまに通る馬車の音、そんな音だけが狭い雑貨屋に響く。
 カウンターの内側の椅子に腰掛けて計算器をいじってみたり、店内をぐるっとまわって目に付いた品物をおそるおそる触ってみたり。
 リームが雑貨屋に着いたのは昼過ぎだったのだが――結局、その日はそれから1人も客は来なかったのだった。

「お疲れ様、リーム。そろそろ店仕舞いにしましょ」
「はい。えーと、お客さんは来なかったです」
「そっかー。暇なのよねぇ困ったことに」
 ティナはゆるく首を振りながら溜息をついた。通りに面した窓と入り口の扉を閉め、魔法の明かりを1つ残して消した後、裏口のむこうの台所から野菜と腸詰を挟んだパンと キノコと卵のスープ、ミルクを2人分持ってきてカウンターに置く。店が暇だというのに、わりと良い夕食だ。まぁ店に置いてあるアクセサリーのひとつが値札通りの値段で売れたなら、数ヶ月食うに困らないだろうけれど。
 カウンターに並べた椅子に座った後、すぐに食事を始めようとするティナに、リームはきょとんとした表情で聞いた。
「……あれ、ティナは食事前のお祈りしないんですか」
「あぁ、えーと……ほら、私、ライゼール国出身なのよ。精霊派<エレメンツ>なの」
 クロムベルク王国は真神派<フォーシーズ>が多数を占める。が、先王が光神派<エンジェラス>であったことや王妃が来てから竜神派<ドラニーズ>が増え たこともあり、宗教の違いにはとても寛容だった。
 なので、完全な真神派の環境で育ったリームもティナの言葉にすぐ納得し、自身はいつも通り祈りの言葉を済ませて食事を始める。そんなリームの横でティナは微妙に居心地悪そうにしていた。
 二言三言たわいもない会話をしたあと、リームは店番をしている間ずっと聞こうと思っていたことを聞いてみることにした。
「あの。噂なんですけど……ここで買った鉄鍋が燃えたって聞いて」
「あー、そんなこともあったねぇ」
「窓辺に置いてあった置物が融けたとか」
「そうそう。日に当たるとダメだったらしいの」
「…………」
 こともなげに肯定する店主に、リームは現実逃避したくなってしまった。
「いやあ、これでも私、この店が変だって自覚はあるのよ」
「あるんですか!?」
「うん。変じゃなくなるのが目的のひとつだし。でも今現在変であるのは事実なんだから仕方がないじゃない? リームもあまり気にしないで」
 それは無理です、と即答したかったが、その前に脱力してしまった。
「あのぅ……商品の仕入先に文句を言うとか、してるんですよね? そもそもこんなに大きな街なら、雑貨屋じゃなくて何かちゃんとしたものを専門に扱ったほ うがいいと思うんですけど……」
「リームって賢いのねー。ちゃんと学校行ってたんだ? でも私は雑貨屋がやりたいの。何でも用意できなきゃダメなのよ」
 含みのある微笑向けられて、リームはそれ以上何も言えなくなる。どこか重さを感じる微笑みを浮かべたティナは、最初の印象よりもずっと大人びて見え た。

(3)追手!

 雑貨屋の開店は9の刻。リームの今までの生活よりも、ずっと朝はゆっくりだ。
 朝食を食べ、軽く掃除をして、ただひたすら店番をする。
 店主のティナはいたりいなかったり……いないことが多いかもしれない。食事は一緒にとることが多かったが、たまに丸1日いないときは裏手にある台所に材料を用意しておいてくれた。
 働き出してから7日間が過ぎ、リームも初日に比べればこの奇妙な雑貨屋に慣れてきていた。元々前向きな性格だということもあるのだろう。
 店主のティナの不思議さに対しても、耐性がついてきているようだ。商品がトンデモナイことと、どこへ行っているのか分からないこと以外は思ったよりも普通の人で(それだけで十分得体が知れないが、それはこの際おいておく)、年もそれほど離れてないからだろうか、明るくて話しやすいお姉さんというように感 じる。
 ひとつ問題があるとすれば、とっても、ものすごーく暇である、ということだった。
 7日間で客が全く来なかった日が3日あり、来ても1日に数人程度である。それさえも冷やかしがほとんどで、売れた品物は小さなカゴがひとつと、香辛料が数種類だけ。
 こんな売れ行きで大丈夫なのか、自分の給料は出るのかと率直に聞いてみたのだが、ティナは蓄えがあるから全然平気と笑っていた。
「だって考えてみてよ。売り物の宝石をひとつよその店に売れば、買い叩かれたとしても一ヶ月は楽に暮らせるでしょ。まだ在庫はあるのよ?」
 そう言うティナの言葉は納得できるものだった。この店主、金銭感覚はおかしくはないのだ。しかし、それほどまでに裕福なのに、何故こんな怪しい雑貨屋をやっているのかは、相変わらず謎なわけだが。

 そして8日目の夕方、雑貨屋に来客があった。
 ひとりで店番をしていたリームは、扉が開く音に顔をあげ、磨いていた陶器の小物入れを棚に戻しつつ入り口のほうへと笑顔を向けた。
「いらっしゃいませー」
 客は3人で、ひとりは老人、2人が若い男性だった。若い男性は両者とも背が高く、磨きこまれた厳つい鎧に長剣を下げていた。老人は濃紺色の仕立ての良いローブを着ており、身に着けるアミュレットを見ると魔法士のようだった。
 確かにこの雑貨屋は武器防具も扱っているし、何が起こるか分からない不思議な商品とは別に魔法具と明記された商品もある(その商品も正確な効果を保証されるものではないようだが)。戦士や魔法士が来てもおかしくはない……しかし、リームは嫌な予感を感じた。
「リーム様……ですな。おぉ、確かに面影があるではないか……」
 感動にうちふるえるように老人が言う。リームは弾けるように駆け出した。店の奥、カウンターへ向かって。
「お待ちくだされ!」
 老人はリームの後を追い、戦士の1人が中央のテーブルをまわりこんでカウンターを飛び越え、裏口の前に立ちふさがった。もう1人は老人の少し後方につく。しかし、リームの目的は出口ではなく、カウンターの上だ。
 チリンチリィーン……
 澄んだ音色が鳴る。リームはほっと表情を和ませて、その後、老人と戦士を睨んだ。
「帰ってください。私は貴族の養子になるつもりはないって、神殿に書き残しておいたはずです!」
「何をおっしゃいます、リーム様。養子ではなく実の子であると、伝えてあるはずですぞ」
「そんなの何の証拠もないじゃない! 神殿には他の子も沢山いるんだから、貴族の子になりたい娘を選んで適当に連れて行けばいいでしょ!」
「信じてくだされ、あなたこそが、由緒正しいストゥルベル家のご令嬢なのですぞ。母君がお帰りを心待ちにしております」
「だから、証拠がないんだから、私じゃなくてもいいでしょーが! 私は嫌だって言ってるの!」
「ぐうぅ、この聞き分けのないさま、あの黒タヌキを思い出させるわい……!」
 額に青筋を浮かべた老人は、ダンダンッと床を踏み鳴らす。リームは老人や戦士をにらみながら、ちらちらと階段や店の扉を見た。こんなときに限って、店主は戻りが遅い。
「とにかく、母君の元へ連れ帰るのが我らの使命。あまり抵抗されぬようお願いいたしますぞ、怪我いたしますゆえ」
 老人の言葉に、戦士が動いた。リームは再び呼び鈴に手を伸ばす。その時。
「いらっしゃいませ~、店主のティナです。何か御用でしょうか」
 緊迫した空気をものともせず、階段を駆け下りてきたのは、場違いな営業スマイルの店主ティナだ。
「ティナ! 遅いです!!」
「ごめんごめん、ちょっと遠出してたのよ。で、どうかしましたか? なにか商品に不都合でも?」
 ――どうやらティナは本気で状況が分かっていないようだった。
「ふむ。店主殿、私どもはとある高貴な方よりの使いでしてな。こちらにおられるお嬢様を屋敷へご案内せねばなりません。店主殿からも言ってくださるかな?」
 老人はするりと懐に手を入れると、数枚の金貨をカウンターの上に置いた。
「騙されないでください、ティナ! こいつら、人攫いなんです!」
「お疑いになるなら、街の治安部隊を呼んできて下さっても構いませんぞ。店主殿はご存知ないでしょうが、治安部隊でしたらこの紋章に見覚えがあるでしょうからな」 
 戦士たちの鎧に刻まれた紋章を示して、老人は堂々と胸を張った。ちょっと首をかしげるティナの表情に変化がないことを見て取ると、カウンターの金貨をさらに数枚増やす。
「少々急いでおりましてな。面倒なことは避けたいのです。あまり欲をかかないことですぞ……私どもは手荒な手段を好みませぬが、そのすべが無いわけではございませぬ」
 キンッ、と戦士が鍔を鳴らした。リームは不安げにティナと戦士を交互に見つめる。ティナはやっと納得したように手を打って言った。
「あぁ。もしかして、何回もリームに追跡の魔法をかけてたのって、あなたたち?」
「えっ、ティナ、何回もって……聞いてないですっ! ほんとですか!?」
「うん、手を変え品を変えって感じでね。その都度言ってたらリーム不安になってたでしょ」
「……なんのことかは存じませんが、ご協力いただけないと考えてよろしいですかな」
 若い女店主にまわりくどい手を使うこともないと諦めたのか、老人が片手をあげ、呪文を唱えた。その手の先から光の縄が伸び、ティナの胴体に巻きつきその動きを封じる。
「ティナ!!」
「さぁ、行きましょうか、リーム様」
 カウンターに置いた金貨をしまうことを忘れずに、老人がリームに語りかける。しかし、その言葉が終わらぬうちに、ティナの口から呪文がつむがれた。
「むぅ!?」
 老人が振り返るころにはすでに呪文は完成し、光の縄は霞のようにかき消える。
「んー、やっぱり追跡の魔法は別の人かな? こんなひねりの無い魔法じゃなかったし」
 余裕の笑顔をみせるティナを、老人は眉間にしわを寄せて睨みつけた。
「この小娘め…………Блж-δζμё……」
「йф・ξθи」
 ティナの呪文の一言で、老人の準備していた魔法が打ち破られる。
 老人は驚愕の表情を浮かべ、何か言うその前に、裏口で待機していた戦士が動いた。剣は抜かず、ティナにつかみかかる。ティナは笑みを浮かべたまま、逃げる素振りも見せない。ただ呪文を唱えた。――そして戦士は光に覆われ、その場に倒れる。
「おぬし、何者……」
 そう呟く老人の姿も、光に包まれ――その光はアメジスト色に染まったかと思うと、ふっと空中に溶け消えた。老人も2人の戦士も、光と一緒に姿を消し――何事もなかったかのような静寂が店内におとずれる。
「んー、ちょっとやりすぎたかなー」
 卵焼きがちょっと焦げちゃったな~とでも言うような雰囲気のティナに、ひたすら状況を見守るしかなかったリームが我に返った。
「ティナ、すごい! 実はものすごい魔法士なんじゃないですか! もしかして、『青』に所属してたりするんですか!?」
「いやいや、そんなことないのよー。あっちが弱かっただけ。てゆーか、リーム、詳しい話聞かせてもらえるんだよね?」
 そう言われてしまっては答えないわけにはいかず。
 カウンターの内側に椅子を2つ並べお茶を用意してから、隠していたわけじゃないんだけどと前置きしつつもリームは話し始めたのだった。

          *      *      *         

 リームが育ったのは、王都クロムベルクにあるピノ・ドミア神殿という場所だった。
 王都の中でも城に近い中心部、貴族の邸宅が並ぶ地域にあるその神殿は、騎士や貴族が出入りする壮麗な造りの大神殿である。
 そして、このピノ・ドミア神殿は、もうひとつの顔――孤児院としても有名だった。
 神殿に孤児院があるのは珍しいことではない。しかし、ピノ・ドミア神殿は、その孤児のほとんどが訳あって貴族の親に捨てられた子であるという事実におい て、他の神殿とは大きく異なっていた。
 愛人の子供であるため、未婚の母であるため、将来跡継ぎ問題をおこさないため。理由はさまざま、捨てられる年齢も様々である。どこの家の子であるか分かり、親がこっそり面会に来さえする子供もいれば、布ひとつにくるまれて神殿の前に置き去りにされそれっきりだという子供もいる。
 布施に苦労していないピノ・ドミア神殿では、孤児にも街の学校並みの教育をあたえていた。公用語の読み書き、計算から、簡単な地理まで。神殿の雑務の手伝いや、街外れの畑で農作業はあるものの、衣食住に教育までついている環境は、貧しい農村の子供などより余程恵まれた生活と言えた。

「でも私達は捨てられたんです。預けられたんじゃない。もし本当に世間から隠したいだけなら、どこか遠くの街で使用人と乳母に育てさせればいいんですから。神殿に置いていくということは、縁を切ること。それを今更、やっぱりうちの子ですーなんて、ねえ」
「うーん……でもほら、何か事情があったとか」
「事情なんてあって当然。だって、オトナの事情ってやつが全くなければ、私達は全員捨てられてなかったはずですもん」

 いくら恵まれた生活が保障されていても、自分が親にとって『存在しては困る子供』であるという現実は、子供達の幸せに影を落とし続けた。
 親は、愛する子供の幸せを考えてピノ・ドミア神殿という場所を選んだのだと、神官からは聞かされてはいるが――頭で理解はできても、素直に納得できぬ部分はある。

「そもそも最初は養子が欲しいってことだったらしいんですよ。たまにあるんです。子供のいない貴族が、そこそこ教育の行き届いた手頃な子供を探して神殿に来ることが」
 ふんっと鼻を鳴らすリームは、大人びた口調であるが子供っぽい怒りがありありと見えた。
「で、私が指名されたんですけど、貴族って好きじゃないんで断わったんです。そしたら、実は本当の子なのでどうしても私で、とか言い出して……信用できま せんよね? ね?」
「それはまあ、そーよねぇ」
「だから、神殿から逃げ出したんです」

 前例はあった。むしろ、珍しくないことだった。
 貴族の養子になることを拒んで、あるいは神殿の規律に嫌気がさして。
 ピノ・ドミア神殿の孤児たちの間では、神官たちには秘密の脱走方法が確立されていたのだ。
 割り当てられている身の回りの品を袋に詰めれば、ひとかかえで済んでしまう。路銀の足しになりそうなものを神殿に残る仲間達が少しずつ提供してくれるの が慣習になっていた。

 別れの刻は、夜が明ける前。漆黒に塗られた夜闇が、わずかに蒼みかかったころ。
 有力商人の養子となった元孤児の手引きで、商品を運ぶ馬車にまぎれこませてもらう手配まですでにできていた。
 リームは元々15歳になったら神官の道を選ばず、独り立ちしようと思っていた。夢もある。それに向かうのがちょっと早くなっただけだ。
 不安な気持ちをふりはらい、運命の女神へと祈りの言葉を呟くと、神殿を駆け出した。
 仲間達と離れ、かりそめの親の手を拒み、たったひとりで生きる道へ。

 


2007/10/12 (Fri) 21:28

(1)不思議な雑貨屋 

(意外と普通なんだ……)
その雑貨屋を見つけたとき、リームは一番最初にそう思った。
王都から馬車で2日。それほど有名ではないが、交易の中継地点として程よく栄えた街、レンラーム。
その街の中心を走る石畳の道、両脇に並ぶ商店がまばらになってきた所に、それは在った。
木の戸がついた窓は開けられていて、店内のテーブルに商品が並んでいるのが見える。
その窓の隣、店の入口の上には看板が掛けられていた。青地に黄色の飾り文字でこう書かれてある。
『雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ』と。

          *      *      *         

「あんまり……というよりも、全っ然おすすめできないんだけどね、お嬢ちゃん」
特注であろう大きさの神官服をまとった恰幅のいい中年女性は、働き手募集の張り紙を見せながら言った。
「雑貨屋ラヴェル・ヴィアータ、手伝い募集。リゼラー通りの端にある店さ。お嬢ちゃんみたいな年齢でできる仕事っていったら、これぐらいしかないねぇ」
しかも、と、中年女性は意味ありげな視線でリームを見た。リームは思わず目をそらす。
仕立ては悪くないが、質素で地味な灰色の服。肩にかけられるよう紐をつけた荷物袋は、子供の体には大きめで……しかし、風従者のように旅慣れた格好ではない。家出をしてきたことがバレバレなのは、リームも自覚があった。
「身元がハッキリしない上に、住み込みで働きたいときた。できる仕事があったほうが奇跡だね。んまあ、アタシも神官の端くれ、深いことは聞かないけどさ。家出少女が安全に暮らせるほど治安が良いと思っちゃあ間違いだよ。……本当に、神殿で働くのはイヤなんだね?」
「イヤです」
キッパリと即座にリームは断言した。
掃除でも皿洗いでも力仕事でも何でもやるつもりでいたが、神殿だけはいやだった。あんなに規律の厳しい場所にいるのはもうこりごりだ。
実はこうやって神殿に立ち寄るのも気が引けたのだが、神殿が街の仕事斡旋所を担っているのだから仕方がない。さすがにリームでも1つ1つ商店や宿をまわって働き口を探そうとは思わなかった。
「そうかい。じゃあ、この紹介状を店に持っていきな。若い女主人だから気兼ねなく話せるだろうよ。ただひとつ……いや、聞かないほうがいいかもしれないねぇ」
「な、なんなんですか? 気になるじゃないですか。そこまで言ったなら話してくださいよ!」
中年女性は逡巡するように唸ったあと、言葉を選びながら言った。
「ま、噂なんだけどね。いろいろとヘンな店なんだよ、ここは」
「変って……どんなふうに?」
「買った商品がいつのまにか融けた、とか、2階から怪しい閃光や爆発音が聞こえる、とか。店主が魔法士だろうってのは想像がつくんだがね。それにしたって、おかしなことが多すぎるのさ」
眉をひそめて半信半疑の視線を向けるリームに、担当神官の女性は責任逃れの愛想笑いを浮かべた。
「まぁ、何かあったら神殿に戻ってくれば大丈夫さ。お嬢ちゃんに王妃様と神々の加護があらんことを!」

          *      *      *         

 春らしい暖かな日差し、薄い雲の浮かぶ空。雲よりも速く、何かが太陽の前を横切った。
この国の民はそんな時、笑顔で空を見上げる。
青い空を横切る黒い影。漆黒の鱗を春の日差しにきらめかせた、竜。
クロムベルク王国を『黒竜に守護された国』と言わしめるその存在は、18年前にこの国の王子と結ばれた現王妃の真の姿だ。
国民は親愛の眼差しで王国の守護者を見上げ、ときに祈る。
「雑貨屋で怪しい魔法実験の材料にされませんように……雇い主が良い人でありますように」
そんな願いを王妃様が叶えてくれるとは到底思えなくても、とりあえず祈ってしまうのは幼いころから染み付いた習慣なのか。
神殿でもらった紹介状を握り締め、全財産である荷物ひとつを抱えて向かうは不思議な――むしろ怪しい雑貨屋。
通りに立ち並ぶ商店でその雑貨屋の話を聞いてみたが、どれもこれも神殿での話を裏付けるものばかりだった。
火にかけたら燃えてしまう鉄鍋が存在するなど信じられないが、これだけ噂があると完全な作り話ではないような気がしてきてしまう。
そんな話を聞いてきたものだから、もっといかにも怪しげな、腰の曲がった魔法オババが紫色の液体を混ぜているような店を想像していたのだ。
いざ来てみれば、他の店と変わらない外観で。
開いた窓から見える店内も、そこに並ぶ品々も、外から見る限りではいたって普通だ。少しまとまりがない印象はあるが、専門の品を売る店がほとんどである大きな街において雑貨屋を名乗るぐらいだから仕方ないのかもしれない。
もう一度看板の名前と紹介状に書いてある店の名前を確かめて、リームは祈りの言葉を呟くと、意を決して店の中へ入っていった。

 狭い店内に窓は1つしかなかったが、魔法の明かりがいくつか天井付近に浮いているので十分明るかった。
中央に大きなテーブルがひとつと、壁にそって棚や台がいくつかあり、そのテーブルにも棚にも台にも所狭しと商品が並んでいる。そして一番奥にカウンターがあるのだが、今は無人だ。カウンターの向こうに2階への階段と裏口の扉が見えるので、そのどちらかに店主はいるのだろうか。
「すみませーん……」
小声で呟いてみても聞こえるはずはない。そろそろと店内を奥へすすむリーム。横目で商品を見るが、見た目に融けそうとか爆発しそうとか、そういう印象は受けない、いたって普通の商品だ。
ただやけに幅広い品揃えではある。鍋やまな板、包丁から調味料、小物入れ、袋、ほうき。生活必需品だけでなく、アクセサリーや果ては鎧や武器まで並んでいた。
カウンターには、美しい細工の呼び鈴が置いてあった。傍に置いてある紙に『御用の方は鳴らしてください』と書いてある。公用語の他にリームの読めない文字が数種類書いてあり、文字が読めない人のためか、呼び鈴を鳴らす絵まで描いてあった。
リームはしばらくじっとその呼び鈴を見て、階段の上と裏口、そしてもう一度店内を見回すと、思い切って呼び鈴を鳴らした。
チリンチリィーーン
澄んだ音色が店内に響く。一瞬の間があり、ぱたぱたと2階から足音が聞こえた。予想していたはずなのに心臓がどきんと鳴り、思わず半歩下がってしまう。
「おまたせしましたー! お買い上げでしょうか? それとも何かお探しでしょうかー?」
営業スマイルで階段を下りてきたのは、話に聞いていた通り若い女性だった。17~8歳ぐらいだろうか、長い金髪を高い位置でひとつに結っている。もう少し魔法士っぽい格好を予想していたのだが、どこにでもいそうな動きやすい服装だった。そうだ、もしかしたら、この人は手伝いで店主ではないかもしれない。
「あ、あの、私は客じゃなくて……実は神殿で」
バタンッ!!
話し始めたその時、店の入口の扉が音をたてて開いた。リームが思わず振り向くと、ヒゲ面のオヤジがしかめっ面をしてずかずかと入ってきた。
「おうおう、ちょっとこの店の主人を出してもらおーじゃねえか!」
「この店の主は私ですけれど、どうかなさいましたか?」
金髪の女性が答えた。あ、店主だったんだ、と思いつつリームはカウンターから後ずさりながら成り行きを見守る。
「どうかされましたかじゃねーんだよ。この壷を見てくんな! 3日前にココで買った壷さ。塩入れにしようと思ってな、入れてみたらほらコレだ! 俺の塩はどこへいったんだ!?」
オヤジが持ってきた小さな壷の中は、水しか入ってなかった。塩辛い水ではなく、真水だとオヤジは言う。
「あー、それ確か水入れって書いて売ってた気がするんですが……」
「壷は壷だろ、どう使おうがこっちの勝手だろーが! 魔法の品ならそう書いておけってんだよ!」
「いやそういうわけでも……ええと、こちらの手違いで、誠に申し訳ございません。なくなった塩の分も含めまして、代金はお返ししますので……」
「あったりめぇよ! もう二度とこんな店で買うか!」
店主が銀貨を渡すと、オヤジは入ってきたのと同じようにバタンッと扉を鳴らして店を出て行った。
残されたリームと店主の間に、微妙な沈黙が落ちる。
「ご、ごめんなさいね。それで、なんだっけ?」
いそいそとオヤジの残していった水の壷をカウンターの内側にしまいつつ、店主はリームに話しかけた。
やっぱりこの店で働くのはやめたほうがいいのかも、かなりとっても強く思ったリームだったが、そうなると神殿で働くしかなくなる。神殿の規律はイヤだったし、何より神殿同士の繋がりでもっとイヤな場所から使いが来る可能性もあった。そんなことになったら、ひとりでここまで来た意味がなくなってしまう。
「私……リームっていいます。神殿から仕事の紹介状をもらってきました。ここで働かせてください!」
一息にそれだけ言うと、リームは店主に紹介状を突き出した。店主は納得した表情に思案するような表情おりまぜて紹介状を受け取る。
「あぁ、そういえば随分前に募集出してたのよね。んー、まぁ年齢の指定はつけなかったけど……リーム、あなたいくつ?」
「12歳です」
ちょっと1歳サバ読んでみた。どうせ確実な誕生日は分からないのだから、嘘にもならないだろう。
「で、公用語の読み書きはできる、と。……住み込み希望? 家族は?」
「いません。だから働くところを探してるんです」
「ふうん……」
店主は紹介状とリームを見比べた。孤児にしてはリームの身なりは清潔だったし、ひと抱えとはいえ荷物もあった。事故か何かで家族を失ったのだろうか。年齢にしてはしっかりしているし、なにより水の壷のやり取りを見ても出て行かなかったのだ。
「いいわよ、雇いましょう。私は店主のティナ・ライヴァート。よろしくね」
カウンターごしに差し出された手を握り、リームの不思議な雑貨屋での生活が始まったのだった。

(2)不思議な店主

「住み込みなら、部屋を用意しなくっちゃね。ちょっと待ってて。店の品物とか、見ててくれて構わないから」
店主のティナは、そう言い残すと階段を上がっていった。
リームはまだ少し緊張した面持ちで品物を眺めはじめる。ほうきがひとつ銅貨3枚。普通の値段だ。キラキラした銀の細工と赤い宝石のようなものがついた髪飾りに金貨50枚と値札がついているのは、普通の値段なのかどうなのか想像もつかない。というか、そんなものが鍋やらほうきやらと一緒に並んでて良いものなのだろうか。
しばらくすると、2階からガタンッゴトンッと何かを動かす物音が聞こえ始めた。
ああ、部屋を用意してくれてるんだな~と思っていたのだが、バキバキバキッという破壊音やら、ズシンッという重い音やら、パシュンッ!という破裂音やらという、部屋の模様替えにしてはあり得ない物音が聞こえてくるのは何故だろうか。
リームはいっそ今のうちに逃げてしまったほうが身の安全のためではなかろうかと、本気で考え始めていた。
「おまたせ~、どうぞ、まだ必要最低限のものしかないけど、何か足りないものがあったら言ってくれればいいから」
ティナが笑顔で下りてきたために脱走計画は儚く消え、リームもありがとうございますーと乾いた笑顔を浮かべながら案内されるままに2階へと上がっていくことになった。

 雑貨屋の2階は部屋が2つあり、階段を上がって廊下の突き当りが店主のティナの部屋、右の扉がリームの部屋になるらしい。
リームの部屋には清潔なシーツのかかったベッド、3段の棚とカゴ、小さな書き物机まであった。自分のものを提供してくれたのか、それとも売り物だったのだろうか。急に住み込みが決まったにしては揃いすぎていた。
「あと、私の部屋には立ち入り禁止だからね。まぁ鍵かかってるから入れないと思うけど。用事があったらノックするより、呼び鈴を鳴らして。あれ、魔法具だから、コレとつながってるの」
ティナが示したのは片耳のイヤリングだった。よく見ると呼び鈴と似たような装飾が施してある。
「店主さんは魔法士なんですか?」
「ティナでいいよ。ま、ちょっと魔法の心得があるのは確かね。……逆に聞くけど、リームって魔法士に追われるおぼえはあるの?」
「えっ!?」
驚くリームをよそに、ティナは開いている木窓の外に視線を向けた。ヂヂッと何か音が聞こえて、窓の外に手のひらより少し小さい大きさの光の球が浮かぶ。ティナが窓に近づくと、その光の球はフッと消えた。
「あ、逃げられた。んー、まぁリームの身におぼえがないなら、私の関係者かもしれないし? あんまり気にしなくていーわよ」
「そうですか……」
身におぼえがないわけでもないリームは、曖昧にうなずくしかなかった。
魔法士を雇ってまで自分を追うような相手なのだろうか? よく分からない。正直、相手のことを全く知らないままに逃げてきたのだから。
そんなリームの様子に気づいているのかいないのか、ティナは荷物を置いたら下に来てねと言うと、先に店に下りていった。
リームは部屋の窓から外を眺める。通りとは逆側の、裏口に面した小さな庭と小道が見える。穏やかな春の街並み――魔法の影は見えないし、あったとしてもリームに見るすべはないのだった。

          *      *      *         

「やってほしいのは、とにかく店番ね。値段は商品につけてあるし、適当にオマケしてあげてもいいから。さっきみたいに返品の客が来たら、お金返してあげて。それでも店主を呼べっていうようだったら呼び鈴鳴らしてちょうだい」
「それで、結局さっきの壷って、魔法具だったんですか?」
「うーん、魔法具というか……不良品?」
不良品で壷に入れた塩が水に変わるのだろうか。
突っ込んで聞くといろいろ問題がありそうだったので、リームはあえて聞かないことにした。
「計算はできる? 計算器もここにあるから。お金はここにしまって。他に何か分からないことはある?」
「ええと、触ったら危ないモノとか、ありますか?」
「武器とか刃物とか……あとはないはずよ」
ないはずって何、はずって!
不安そうなリームに、ティナは明るい笑顔で力強く言った。
「大丈夫だから!」
と。

 こうしてティナは2階へ上がり、店にはリームが残された。一体ティナは2階で何をやっているのだろう? 特に上から物音は聞こえない。通りを歩く人の足音、たまに通る馬車の音、そんな音だけが狭い雑貨屋に響く。
リームが雑貨屋に着いたのは昼過ぎだった。カウンターの内側の椅子に腰掛けて計算器をいじってみたり、店内をぐるっとまわって目に付いた品物をおそるおそる触ってみたり。
――結局、その日はそれから1人も客は来なかったのだった。

「お疲れ様、リーム。そろそろ店仕舞いにしましょ」
「はい。えーと、お客さんは来なかったです」
「そっかー。暇なのよねぇ困ったことに」
ティナはゆるく首を振りながら溜息をついた。通りに面した窓と入り口の扉を閉め、魔法の明かりを1つ残して消した後、裏口から野菜と腸詰を挟んだパンとキノコと卵のスープ、ミルクを2人分持ってきてカウンターに置く。店が暇だというのに、わりと良い夕食だ。まぁ店に置いてあるアクセサリーのひとつが値札通りの値段で売れたなら、数ヶ月食うに困らないだろうけれど。
カウンターに並べた椅子に座った後、すぐに食事を始めようとするティナに、リームはきょとんとした表情で聞いた。
「……あれ、ティナは食事前のお祈りしないんですか」
「あぁ、えーと……ほら、私、ライゼール国出身なのよ。精霊派<エレメンツ>なの」
クロムベルク王国は真神派<フォーシーズ>が多数を占める。が、先王が光神派<エンジェラス>であったことや王妃が来てから竜神派<ドラニーズ>が増えたこともあり、宗教の違いにはとても寛容だった。
リームもティナの言葉にすぐ納得し、自身はいつも通り祈りの言葉を済ませて食事を始める。神殿の規律は嫌いだったが、信仰心がないわけではなかった。そんなリームの横でティナは微妙に居心地悪そうにしていた。
リームは店番をしている間ずっと聞こう聞こうと思っていたことを、夕食を食べながらそれとなく聞いてみることにした。
「あの。噂なんですけど……ここで買った鉄鍋が燃えたって聞いて」
「あー、そんなこともあったねぇ」
「窓辺に置いてあった置物が融けたとか」
「そうそう。日に当たるとダメだったらしいの」
「…………」
こともなげに肯定する店主に、リームは現実逃避したくなってしまった。
「いやあ、これでも私、この店が変だって自覚はあるのよ」
「あるんですか!?」
「うん。変じゃなくなるのが目的のひとつだし。でも今現在変であるのは事実なんだから仕方がないじゃない? リームもあまり気にしないで」
それは無理です、と即答したかったが、その前に脱力してしまった。
「あのぅ……商品の仕入先に文句を言うとか、してるんですよね? そもそもこんなに大きな街なら、雑貨屋じゃなくて何かちゃんとしたものを専門に扱ったほうがいいと思うんですけど……」
「リームって賢いのねー。ちゃんと学校行ってたんだ? でも私は雑貨屋がやりたいの。何でも用意できなきゃダメなのよ」
何か含みのある微笑向けられて、リームはそれ以上何も言えなくなる。どこか重さを感じる微笑みを浮かべたティナは、最初の印象よりもずっと大人びて見えた。

(3)追手!

 雑貨屋の開店は9の刻。リームの今までの生活よりも、ずっと朝はゆっくりだ。
朝食を食べ、軽く掃除をして、ただひたすら店番をする。
店主のティナはいたりいなかったり……いないことが多いかもしれない。食事は一緒にとることが多かったが、たまに丸1日いないときは裏手にある台所に材料を用意しておいてくれた。
働き出してから7日間が過ぎ、リームも初日に比べればこの奇妙な雑貨屋に慣れてきていた。元々前向きな性格だということもあるのだろう。
店主のティナの不思議さに対しても、耐性がついてきているようだ。商品がトンデモナイことと、どこへ行っているのか分からないこと以外は思ったよりも普通の人で(それだけで十分得体が知れないが、それはこの際おいておく)、年もそれほど離れてないからだろうか、明るくて話しやすいお姉さんというように感じる。
問題なのは、とっても暇である、ということだった。
7日間で客が全く来なかった日が3日あり、来ても1日に数人程度である。それさえも冷やかしがほとんどで、売れた品物は小さなカゴがひとつと、香辛料が数種類だけ。
こんな売れ行きで大丈夫なのか、自分の給料は出るのかと率直に聞いてみたのだが、ティナは蓄えがあるから全然平気と笑っていた。
「だって考えてみてよ。売り物の宝石をひとつよその店に売れば、買い叩かれたとしても一ヶ月は楽に暮らせるでしょ。まだ在庫はあるのよ?」
そう言うティナの言葉は納得できるものだった。この店主、金銭感覚はおかしくはないのだ。しかし、それほどまでに裕福なのに、何故こんな怪しい雑貨屋をやっているのかは、相変わらず謎なわけだが。

 そして8日目の夕方、雑貨屋に来客があった。
ひとりで店番をしていたリームは、扉が開く音に顔をあげ、磨いていた陶器の小物入れを棚に戻しつつ入り口のほうへと笑顔を向けた。
「いらっしゃいませー」
客は3人で、ひとりは老人、2人が若い男性だった。若い男性は両者とも背が高く、磨きこまれた厳つい鎧に長剣を下げていた。老人は濃紺色の仕立ての良いローブを着ており、身に着けるアミュレットを見ると魔法士のようだった。
確かにこの雑貨屋は武器防具も扱っているし、何が起こるか分からない不思議な商品とは別に魔法具と明記された商品もある(その商品も正確な効果を保障されるものではないようだが)。戦士や魔法士が来てもおかしくはない……しかし、リームは嫌な予感を感じた。
「リーム様……ですな。おぉ、確かに面影があるではないか……」
感動にうちふるえるように老人が言う。リームは弾けるように駆け出した。店の奥、カウンターへ向かって。
「お待ちくだされ!」
老人はリームの後を追い、戦士の1人が中央のテーブルをまわりこんでカウンターを飛び越え、裏口の前に立ちふさがった。もう1人は老人の少し後方につく。しかし、リームの目的は出口ではなく、カウンターの上だ。
チリンチリィーン……
澄んだ音色が鳴る。リームはほっと表情を和ませて、その後、老人と戦士を睨んだ。
「帰ってください。私は貴族の養子になるつもりはないって、神殿に書き残しておいたはずです!」
「何をおっしゃいます、リーム様。養子ではなく実の子であると、伝えてあるはずですぞ」
「そんなの何の証拠もないじゃない! 神殿には他の子も沢山いるんだから、貴族の子になりたい娘を選んで適当に連れて行けばいいでしょ!」
「信じてくだされ、あなたこそが、由緒正しいストゥルベル家のご令嬢なのですぞ。母君がお帰りを心待ちにしております」
「だから、証拠がないんだから、私じゃなくてもいいでしょーが! 私は嫌だって言ってるの!」
「ぐうぅ、この我侭っぷりは、あの馬鹿男の血筋ゆえかっ…・…」
額に青筋を浮かべた老人は、ダンダンッと床を踏み鳴らす。リームは老人や戦士をにらみながら、ちらちらと階段や店の扉を見た。こんなときに限って、店主は戻りが遅い。
「とにかく、母君の元へ連れ帰るのが我らの使命。あまりお暴れにならぬようお願いいたしますぞ、怪我いたしますゆえ」
老人の言葉に、戦士が動いた。リームは再び呼び鈴に手を伸ばす。その時。
「いらっしゃいませ~、店主のティナです。何か御用でしょうか」
緊迫した空気をものともせず、階段を駆け下りてきたのは、場違いな営業スマイルの店主ティナだ。
「ティナ、遅いです!!」
「ごめんごめん、ちょっと遠出してたのよ。で、いかがされましたか? なにか商品に不都合でも?」
――どうやらティナは本気で状況が分かっていないようだった。
「ふむ。私共はとある高貴な方よりの使いでしてな、店主殿。こちらにおられるお嬢様を屋敷へご案内せねばなりません。店主殿からも言ってくださるかな?」
老人はするりと懐に手を入れると、数枚の金貨をカウンターの上に置いた。
「騙されないでください、ティナ! こいつら、人攫いなんです!」
「お疑いになるなら、街の治安部隊を呼んできて下さっても構いませんぞ。店主殿はご存知ないでしょうが、治安部隊でしたらこの紋章に見覚えがあるでしょうからな」 
戦士たちの鎧に刻まれた紋章を示して、老人は堂々と胸を張った。ちょっと首をかしげるティナの表情に変化がないことを見て取ると、カウンターの金貨をさらに数枚増やす。
「私共は急いでおりましてな。面倒なことは避けたいのです。あまり欲をかかないことですな……私共は手荒な手段を好みませぬが、そのすべが無いわけではございませぬ」
キンッ、と戦士が鍔を鳴らした。リームは不安げにティナと戦士を交互に見つめる。ティナはやっと納得したように手を打った。
「あぁ。もしかして、何回もリームに追跡の魔法をかけてたのって、あなたたち?」
「えっ、ティナ、最初の日だけじゃなかったんですか!?」
「うん、手を変え品を変えって感じでね。その都度言ってたらリーム不安になってたでしょ」
「……なんのことかは存じませんが、ご協力いただけないと考えてよろしいですかな」
若い女店主にまわりくどい手を使うこともないと諦めたのか、老人が素早く呪文を唱えると、光の縄がティナの胴体に巻きつき、その動きを封じた。
「ティナ!!」
「さぁ、行きましょうか、リーム様」
カウンターに置いた金貨をしまうことを忘れずに、老人がリームに語りかける。しかし、その言葉が終わらぬうちに、ティナの口から呪文がつむがれた。
「むぅ!?」
老人が振り返るころにはすでに呪文は完成し、光の縄は霞のようにかき消える。
「んー、やっぱり追跡の魔法は別の人かな? こんなひねりの無い魔法じゃなかったし」
余裕の笑顔をみせるティナを、老人は眉間にしわを寄せて睨みつけた。
「この小娘め……シェルス=エルヘ=マーティアグバ、エレイデシィ……」
「トレハム=ベルエ」
ティナの呪文の一言で、老人の準備していた呪文が打ち破られる。
老人は驚愕の表情を浮かべ、何か言うその前に、裏口で待機していた戦士が動いた。剣は抜かず、ティナにつかみかかる。ティナは笑みを浮かべたまま、逃げる素振りも見せない。ただ呪文を唱えた。――そして戦士は光に覆われ、その場に倒れる。
「おぬし、何者……」
そう呟く老人の姿も、光に包まれ――その光はアメジスト色に染まったかと思うと、ふっと空中に溶け消えた。老人も2人の戦士も、一緒に。
「んー、ちょっとやりすぎたかなー」
卵焼きがちょっと焦げちゃったな~とでも言うような雰囲気のティナに、ただただ状況を見守るしかなかったリームが我に返った。
「ティナ、すごい! 実はものすごい魔法士なんじゃないですか! もしかして、『青』に所属してたりするんですか!?」
「いやいや、そんなことないのよー。あっちが弱かっただけ。てゆーか、リーム、詳しい話聞かせてもらえるんだよね?」
そう言われてしまっては答えないわけにはいかず。
カウンターの内側に椅子を2つ並べ、お茶を用意してから、隠していたわけじゃないんだけどと前置きしつつも、リームは話し始めたのだった。

          *      *      *         

 リームが育ったのは、王都クロムベルクにあるピノ・ドミア神殿という場所だった。
王都の中でも城に近い中心部、貴族の邸宅が並ぶ地域にあるその神殿は、騎士や貴族も出入りする壮麗な造りの大神殿である。
そして、このピノ・ドミア神殿は、もうひとつの顔――孤児院としても有名だった。
神殿に孤児院があるのは珍しいことではない。しかし、ピノ・ドミア神殿は、その孤児のほとんどが訳あって貴族の親に捨てられた子であるという事実において、他の神殿とは大きく異なっていた。
愛人の子供であるため、未婚の母であるため、将来跡継ぎ問題をおこさないため。理由はさまざま、捨てられる年齢も様々である。どこの家の子であるか分かり、親がこっそり面会に来さえする子供もいれば、布ひとつにくるまれて神殿の前に置き去りにされそれっきりだという子供もいる。
布施に苦労していないピノ・ドミア神殿では、孤児にも街の学校並みの教育をあたえていた。公用語の読み書き、計算から、簡単な地理まで。神殿の雑務の手伝いや、街外れの畑で農作業はあるものの、衣食住に教育までついている環境は、貧しい農村の子供などより余程恵まれた生活と言えた。

「でも私達は捨てられたんです。預けられたんじゃない。もし本当に世間から隠したいだけなら、どこか遠くの街で使用人と乳母に育てさせればいいんですから。神殿に置いていくということは、縁を切ること。それを今更、やっぱりうちの子ですーなんて、ねえ」
「うーん……でもほら、何か事情があったとか」
「事情なんてあって当然。だって、オトナの事情ってやつが全くなければ、私達は全員捨てられてなかったはずですもん」

 いくら恵まれた生活が保障されていても、自分が親にとって『存在しては困る子供』であるという現実は、子供達の幸せに影を落とし続けた。
親は、愛する子供の幸せを考えてピノ・ドミア神殿という場所を選んだのだと、神官からは聞かされてはいるが――頭で理解はできても、素直に納得できぬ部分はある。

「そもそも最初は養子が欲しいってことだったらしいんですよ。たまにあるんです。子供のいない貴族が、そこそこ教育の行き届いた後腐れのない子供を探して神殿に来ることが」
ふんっと鼻を鳴らすリームは、大人びた口調であるが子供っぽい怒りがありありと見えた。
「で、私が指名されたんですけど、貴族って好きじゃないんで断わったんです。そしたら、実は本当の子なのでどうしても私で、とか言い出して……信用できませんよね? ね?」
「それはまあ、そーよねぇ」
「だから、神殿から逃げ出したんです」

 前例はあった。むしろ、珍しくないことだった。
貴族の養子になることを拒んで、あるいは神殿の規律に嫌気がさして。
ピノ・ドミア神殿の孤児たちの間では、神官たちには秘密の脱走方法が確立されていたのだ。
割り当てられている身の回りの品を袋に詰めれば、ひとかかえで済んでしまう。路銀の足しになりそうなものを神殿に残る仲間達が少しずつ提供してくれるのが慣習になっていた。

 別れの刻は、夜が明ける前。漆黒に塗られた夜闇が、わずかに蒼みかかったころ。
有力商人の養子となった元孤児の手引きで、商品を運ぶ馬車にまぎれこませてもらう手配まですでにできていた。
リームは元々15歳になったら神官の道を選ばず、独り立ちしようと思っていた。夢もある。それに向かうのがちょっと早くなっただけだ。
不安な気持ちをふりはらい、運命の女神へと祈りの言葉を呟くと、神殿を駆け出した。
仲間達と離れ、かりそめの親の手を拒み、たったひとりで生きる道へ。

 

(4)店主の知人

 しとしとと細い雨が落ちていた。
庭園に咲く色とりどりの花は、空を覆う雨雲の下でも尚あざやかだ。宝石のような雫に全身を飾っている。
常に雨露をまとう魔法の花というのもいいかもしれない。今度フローラへの贈り物にしよう。
高い塔にある執務室の窓から庭園を見下ろす男は、頭の中で複雑な呪文を組み立てながら遠き地の愛する人を想った。
と、その窓に、小さな小鳥が飛来した。地味な茶色い翼の、どこにでもいるような小鳥だ。
小鳥は男のさしのべた手にとまると、ふわっと光をまとい、次の瞬間には空中に小さな映像を浮かび上がらせた。
街の商店街で、黒髪を肩までおろした少女が買い物をしている。メモを見ながら買っていく品物は、さまざまな日用品だ。小さな体にあまるほどの袋を抱えてよたよたと通りを歩いていく。
通りの商店がまばらになったころ、少女はある店に入っていった。見た目はどこにでもあるような店構え。看板には青地に黄色の文字で雑貨屋ラヴェル・ヴィアータと書いてある。
『ティナ~、ただいま戻りました~』
『お疲れ様! 重かったでしょ。そこらへんにまとめて置いておいてくれればいいから』
店の奥に入っていく黒髪の少女。迎え出た金髪をひとつに結った若い女性は黒髪の少女を先に行かせ、自らは店の戸口から真っ直ぐこちらを見つめた。――映像を見ている男と目が合うほどに。
『どこの誰だか知らないけれど、しつこいのね~。今度は本物の鳥を触媒に使ってるの?』
女性のさしのべた手元に、ぐっと映像が引き寄せられる。女性が呪文を唱えたそぶりはない。ありえないことだった。
『あれっ、違うんだ。スゴイ……どーやってんの、これ?』
すっと光が消え、映像はそこで終わった。男の手にとまっていたと見えた小鳥は、魔方陣の描かれた羊皮紙へと姿を戻す。
金髪の女性。名前がティナ。なにより、あの不条理な魔力と、その隠し方の稚拙さは。
「まったく。なんてとこに転がり込んだんだ、お前は……」
苦笑を含んだ呟きをもらすと、男は執務室を出て行った。このままずっと様子をみているわけにもいかない。状況を動かすためには……助力を請う必要があった。

          *      *      *         

「それで、これ、どうするんですか? 新しい商品なんですか?」
「まぁ、そういうことね。良いモノなら、だけど」
リームが買ってきた品物をひとつひとつ確かめながらティナは言った。リームはうんうんとうなずく。
「それがいいですよ! 飛び跳ねるお皿とか甘い胡椒とか、ヘンテコリンなものを卸す仕入先とは、縁を切ったほうがいいですって」
リームを狙う老人たちが現れてから5日。それ以降追手もなく、いつも通り平和に雑貨屋を営む毎日だった。
ただ、雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの『いつも通り』は、ただひたすら暇で、たまに来るのは妙な商品を返品しに来た客ばかり、という日々であったりする。
皿もほうきも武器もアクセサリーも、仕入先はもちろん別々の職人のはずなのに、どうしてこの雑貨屋にはヘンなものが集まってきてしまうのか。不思議というより呪われているようだった。
「ほら、ティナ。この小皿可愛い! サロメイッテ村の品物ですよ。良いんじゃないですか?」
「うん、いいかもね。サロメイッテ村って……有名なの?」
「知らないんですか? あぁ、ティナは他の国の出身だっけ。西のシェシェ湖の側にある、国で一番陶器が有名な村ですよ」
「そうなんだ~」
とりあえずその日は、これが良いあれが良いと相談しながら、客の来ない1日を楽しく過ごしたのだった。

 翌日。
リームが開店準備をしていると、ティナが大きな木箱を抱えて階段を降りてきた。
「あ、リーム。そこのテーブルの上のコップ寄せて、これ並べてくれる?」
「はーい」
木箱には屑布に包まれた食器のようなものが沢山入っていた。一枚一枚布から取り出してテーブルに並べていく。柔らかいミルク色をしたその食器は、落ち着いた紅色の線で装飾がほどこされていた。その独特な紋様は、クロムベルク国では有名で。
「サロメイッテの皿じゃないですか! もう仕入れたんですか!」
「うん、リームも薦めてたじゃない」
「そりゃそうですけど……昨日商隊来てましたっけ? よその店から買い取ったんですか?」
昨日はあれから閉店までティナと一緒にいたので、ティナはよその店に行ったりはしていないはずだった。部屋から魔法を使った手段で仕入先と連絡を取ったとしても、今朝納品の馬車は見ていない。
「ま、独自のルートってやつね」
そんな得体の知れない独自ルートを使うから、商品もアリエナイ欠陥品だったりするんじゃないかなぁ。
笑顔のティナとは対照的に、リームは眉をひそめて真新しい皿を見つめるのだった。

 西の空、雲の合間から見える陽光は、わずかに赤みを帯びはじめていた。
結局、新しく店に並んだ皿も1枚も売れず。暇をもてあましてカウンターに座っていたリームは、突如として店を取り巻く光と、バチバチバチっと何かがはじける音を聞いた。
それと同時に、2階から駆け下りてくる足音。
「リーム、無事っ!?」
店の外にある光から、ひとつ、ふたつと球状になっていき、店の入り口から中に入ってくる。リームの隣に立ったティナが素早く呪文を唱えるたびに光の球は霧散していくが、店の外に光がある限り、それはいくつでも入ってくるようだった。
「前のじーさんと違って、わりとやるみたいね!」
ティナが呪文をつむぎ印を切り、生まれた風が店の外へと向かう。光は明滅を繰り返し消えかかるも、しかし新たに別の色みをおびた光が現れた。
「うあ、そこまで編み上げてくる?」
うんざりした声音で言うティナ。リームには何が何だか分からない。複雑極まりない魔法のやり取りが行われているらしいことを想像するしかなかった。
しばらく光とティナの呪文の応酬が続いていたが、とうとうティナが音をあげた。
「これだから人間の魔法士って厄介なのよね……もー、めんどくさいし!」
トン、とティナが片足を鳴らした。すうっと、周囲の全ての音と光が消える。幻が消えるようにあっけなかった。
そこには何事もなかったように、ただ午後の雑貨屋、いつもの店内だ。
「な、なんだったんですか……」
「さーあ? 本人に聞いてみれば?」
ぱちんとティナが指を鳴らすと、店内に紫色の光の魔方陣が現れた。その光に包まれて姿をあらわしたのは、黒を基調にしたローブをまとった男性だった。外側にはねた黒髪と若草色の瞳、端正な顔立ちは若々しいが、30代そこそこには見える。その男性が持つ、細身の銀の杖が職業を語っていた。驚愕の表情を隠しきれてない様子で、周囲を見回した後、ティナに視線を向けて、とってつけたように微笑んだ。
「初めてお目にかかります、ティナ・ライヴァート殿」
「ふーん、私のこと知っててやったんだ?」
「というよりも、隠そうとなさってなかったでしょう」
「途中から面倒くさくなっちゃってねー。本当、あんな複雑な魔法久しぶりに見たよ」
「お褒めいただいて光栄。ちょっと力試しをしてみたかっただけでね。大目に見ていただけると助かりますよ。俺はただリームを説得しに来ただけなんですから」
「――わ、わたし!?」
すっかりティナ関連の来客だとばかり思って様子をうかがっていたリームは、思わず叫んでしまった。男性はそんなリームを優しげな笑顔で見つめる。
「そうだぞ、リーム。意地張ってないで、母親に会いに行ってやるんだ。心配してるだろう」
「わ、私に母親なんていないし、いらない!」
「あー、それ、フローラが聞いたら泣くな。間違いなく号泣だ」
何故か男性はどこか楽しげだった。ティナに視線を移して言う。
「ティナ殿も思いませんか。養子になるとしてもならないとしても、一度母親に会って、言いたいことがあるなら本人に直接言うべきだってね」
「思わないわけでもないけど、私の店に魔法をふっかけてくるよーな人の言う事聞きたくないわね」
剣呑な視線のティナに、男性は肩をすくめた。
「あなたのような方の側にリームを置いておきたくない気持ちも分かってくださいよ。あなたが何者であるか知ってる人間なら、多かれ少なかれそう思うと思いますよ」
「……ほんとに知ってるの? 知っててその口のきき方ってちょっと神経疑うわ」
「はっはっは、神経疑われてしまいましたか」
陽気に笑う男性に、ティナも毒気を抜かれたようだ。カウンターに腰掛けて、リームに問う。
「で、どーすんの?」
「どーするも何も……貴族のとこなんて行きたくないし、母親だなんて言う人に会いたくもない」
「……そう」
ティナは何か言いたげな沈黙を落とすも、魔法士の男性に視線を戻した。
「まぁ、そういうことだから。今回は見逃してあげるけど、次回はないからね。さようなら」
ひらひらと手を振るティナに、男性は余裕の表情でうなずいた。
「仕方ありませんね。切り札にご登場願うとしましょう」
男性は店の窓をふり返り、合図を送った。キィ、と店の入り口の戸が開く。
入ってきたのは、銀糸の刺繍が入った紺のドレスに紫のショールを羽織った女性だった。波打つ艶やかな黒髪は銀の髪飾りで留められて、紫の瞳は深く落ち着いた光をたたえていた。
ガタンっと椅子を蹴ってティナが立ち上がる。その表情は、驚きよりも困惑が強い。
「ファラさん!! なんで……!?」
「久しぶり、というほどでもないかしら。ティナちゃん。3ヶ月ぶりぐらいね」
ファラと呼ばれた女性は、いたずらっぽい微笑みを浮かべ、視線で魔法士の男性を示した。
「ラングリーは、宮廷魔法士なの。さっきの魔法は見事だったでしょう。ごめんなさい、私も許可してしまったのよ。ティナちゃんも良い勉強になるかと思って」
「宮廷魔法士……なるほどね!」
ティナの視線に、大仰なお辞儀で答えるラングリー。小憎らしい笑顔は、どこか愛嬌があった。
ファラは、状況が把握できず傍観しているリームに目の高さを合わせて語りかけた。その口調はどこまでも優しい。
「初めまして。わたくしはファラミアル・サティアス。あなたがリームね」
「はい……」
「ごめんなさい。あなたの親があなたを手放さざるを得なかったのは、わたくしのせいでもあるの」
「!?」
「でも、あなたの親はあなたの誕生をとても喜んでいたのよ。神殿に受け渡した後も、毎日のように魔法で様子を見ていたの。そうよね、ラングリー?」
「おっしゃるとおりです」
「リーム、あなたに寂しい思いをさせた責任は、確かに親にあるのかもしれません。恨まないでというのは無理な話でしょう。でも、逃げないでほしい。背中を向けずに、ちゃんとこれまでどんなに辛かったか、寂しかったか、伝えてほしいのです」
「…………」
リームは何も答えなかった。いや、答えられなかった。そんなのしらないと叫びたい気持ちもあったが、ファラにはそう言わせない何かがあった。それでも、自分を捨てた親に会うのは、こわかった。相手が何を言うのか、自分が何を言ってしまうのか、こわかった。
ファラは立ち上がって、横で見守っていたティナに言った。
「少しリームを借りてもよろしいかしら? 一晩でいいのよ。この子の母親がいるのはストゥルベル領だから、ティナちゃんに送ってもらうまでもなくわたくしの翼で十分」
「それは本人しだいだけど……なんでファラさん自ら?」
「ストゥルベル家はエイゼルの叔父にあたる家なのよ。つまり、リームの母親はわたくしの義理の従姉妹です」
「うあ、そんな家系に生まれちゃったわけね……」
「な、なんなんですか、ティナ、その可哀相なものを見る目はっ!?」
勝手に話を進めていくティナに、リームがくってかかる。というか、ティナが貴族と知り合いだったなんて初めて知ったし……しかも、どうやら自分の遠縁の親戚らしいではないか。天涯孤独の捨て子として生きてきたリームは、何故かちょっとドキドキしながらちらっとファラを見上げた。そんなリームの頭をファラは優しく撫でる。
「大丈夫よ、緊張してしまうのは当たり前でしょうね。フローラも急に会えるなんて知ったら、きっと緊張で取り乱して泣き出してしまうでしょう」
「まったくもっておっしゃるとおりでしょうねぇ」
「ラングリー、先に行っておいたほうがいいのではないかしら? わたくしたちはゆっくり行きますから」
「では、仰せのままに。リーム、またあとでな!」
ラングリーが呪文を唱えて杖をふると、紫色の光がはじけて、そして消えた。ラングリーの姿とともに。
「すごい……」
リームは呟く。魔法についての詳しい知識はなかったが、移転の魔法がとてつもなく難しいということは知っていた。ピノ・ドミア神殿付きの魔法士でも、長い儀式と大きく複雑な魔方陣を必要としたのだ。それを杖の一振りでこなしてしまうとは。
宮廷魔法士。『青』と並んで魔法士のエリートと称される役職だ。世界を旅してまわることの多い『青』とは逆に、宮廷の執務室で研究にこもることが多いと言われている。
なので『青』に比べて地味な印象をいだいていたのだが……宮廷魔法士も格好いいかもなぁ、と、リームは思うのであった。
「さあ、リーム。行ってくれますね?」
「えっ!? え、いや、その……」
突然おとずれた決断の時に、さらに思わぬ方向から追い討ちがかかった。
「んー、リーム、行くだけ行ったら? ファラさんに逆らうのは得策じゃない……ていうか、無理だと思う、普通に」
「ティナまで!? そんな、私……私、無理だよ……」
「もう、そんな泣きそうな顔しないの! 私も一緒に行ってあげるから! ……ちなみにリーム、高い場所って平気?」
「え……? 別に嫌いじゃないけど。神殿の塔の上とか、わりと好きだったし……」
話の行方が見えないのはリームだけらしい。
ティナとファラはお互いニッコリと視線を交わして、うなずきあった。

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